こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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「エチカの鏡」を見て思うこと。

2010-06-20 21:43:56 | 読書、漫画、TVなど
夫にうつされた風邪は、今日も咳と鼻水とくしゃみと喉の痛みを伴って、いっこうに良くなりません。

なので、今日は何もせず、うだうだと過ごしました。

おじいちゃんのために、父の日お食事会を隣の姉宅でしましたが、ほとんど役に立たず帰宅。

夜9時過ぎからなんとなくつけたテレビ「エチカの鏡」のテーマが「あなたはどんな最期を迎えたいか」
というものでした。

いろんな葬儀の仕方や、任意契約などの紹介もあり、故人の遺伝子をペンダントに固定するとか、声を再生するとか、磁器にするとかダイアモンドにするとか・・・
いろいろな形で残すことから、散骨などのように残さないためのもの、などのご紹介がありました。

けれど、最後に漫画家青柳祐介さんが妻に残したものは、本当に素敵なものでした。

高知出身の青柳さんは、幼なじみの奥さんと結婚して50年。
亭主関白で、妻には3歩あとからついてこい!と言うような人だったそうですが、耳下腺癌が再発した時、すべての治療を拒否し、残された時間を大切にしたいと宣言したそうです。

そして、自分の葬儀の写真から葬儀の手順、はてはお棺の中のデッサンまで書いて、どこに何を置くかを指示したそうです。

そのかたわら、妻のために筆で大きな長い手紙を書きました。
人は皆死ななければいけないし、自分は早めに行くだけだから、悲しまないで楽しく暮らせ。というような内容でしたが、

最期に「お前が落ち込んだら、俺が一番悲しむぞ。解ったか。」とひときわ大きく書かれていました。

「解ったか!」は生前から亭主関白の夫の口癖だったそうです。

その手紙は今も仕事部屋に貼ってあり、その書体のおおらかさと優しさは、妻の心の支えとなっていました。

いろいろ指図をして、ほとんどの死出の準備が整い、それでもあたふたとする妻をそばに呼んで夫はこう言ったそうです。

「俺との時間が、ほしくないか?」

  そして、妻を抱きしめました。


今でも月命日に墓参りをする妻をカメラが追います。

その墓標には、彼の自筆のイラストが描かれていました。

小学生の少年が、幼なじみの年下の少女と向かい合っている、とても温かなイラストでした。

二人の影が、地面で一つになっている・・・

すごいな~。
感動しました。

こんなにも、残された人に愛を伝えられるなんて。
自分の死の恐怖よりも、残す人の悲しみのほうが耐えられなかったのでしょうね。

あらん限りのエールを、妻に残して旅立ったのだなぁ・・・と。

昼にみたテレビでも、13歳で母親になり、16歳で骨肉腫になった少女が、小さな我が子に「母に愛された記録を残したい。」と言ってビデオレターを撮り続けたという実話をやっていました。

ここにきて、人はやはり真実を知ればこそ、大切な誰かにメッセージを残す事が出来るし、自分自身の自律を支えられるのだということが実感できます。

もちろん青柳さんは、自分が自分の病気や予後を知らないなんて、絶対に許せなかったでしょうね。

13歳で母親になった少女は、両親が話し合い考えた末に、「子供のために何も知らせない事のほうが、かわいそうだ。」として本人に告げました。
彼女は、わが子のために生きると決め、泣き言を言わずに抗がん剤に耐えましたが、それも効果がなく自分の死を悟った時に、『あなたは望まれて生まれ、心からママに愛されていたのよ。』と言うことをどうしたら伝えられるかを考えました。

それがビデオレターだったのですね。

自分の死を自分で受け止めることで、自分にしかできないメッセージを残す事が出来る。

わたしは、やはり自分のときにはそれを知りたいし、誰もが知る権利を持っていると思います。

家族の会話の中で、いちどは話し合っておくべきなのかもしれませんね。