☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

老いを見つめて

2010年02月08日 | 病気・健康
義母の退院が決まりホッとし、夫と二人で施設に送り届けたその日、施設の嘱託医の先生からお話があるとのことで診察室に呼ばれた。

私が先生にお目にかかったのは初めてのこと。

   

   



今回は無事退院して戻ることができたが、高齢のため現時点では今後どのような経過になるかはわからないが、急激に状態が悪化する場合も考えられ最悪、死に至る場合も想定されるとのお話があった。
ご自身の体験や病気や治療に対する様々な例によるお話などを、こちらに不安を与えないように言葉を選びながら。

そのことを踏まえて施設においての『看取り』を希望するかどうかの確認が、そのあとケアマネージャーからあった。
同意を得たうえで“ターミナルケア”の実施による加算の話も付け加えられて。


その同意書を得るための先生のお話だったのだと後でわかった。


いずれは対応すべき日が間違いなく訪れることがわかっていても、唐突に聞かれてその場で即答できる問題ではなく施設におけるターミナルケア(看取り)の指針について詳しく書かれた書類を預かってきた。


「ターミナル」は“終末”という意味のようである。


人生の最後を、どこで、どのように、誰に看取られたいのか、みんなそれぞれ希望はあってもその通りにはいかないことが多いのが現実だと思う。


寝たきりで胃から経管栄養を採り、言葉も身体も不自由で自分の意志さえ伝えることができずに、どんよりと宙を見つめる義母の姿に、本人の気持ちはどうなのだろう?と、入院中付き添っていてとても重い気持ちになった。

なんて 老いて生きながらえる ことは辛いことかと。


   


昨年、埼玉から遊びに来た私の父方の高齢の三人の叔母たちの生活も、いよいよ黄色の信号が・・・いや、すでに赤信号が点滅している状況にあるらしい。

子どものいない二人の叔母は近所に人に支えられ、なんとか共に暮らしているがヘルパーさんを受け入れようとしない。
他人を家に入れたがらないのは、どこの老人も最初はそうだが、その頑固さはハンパではないようだ。

なんとか、力になってあげたいと思っても離れているので、付いているわけにもいかず・・・
今、まだ判断力があるうちにいろいろと聞いておきたいことや決めておかなければならないこともあるのに、遠くの親戚よりも近くの他人を頼っている現状で、ヘタに口出しすると逆恨みを買うこともあるので慎重にならざるをえない。

“小さな親切”が“大きなお世話”だったりする。

良かれと思ってやったことで、痛い思いをした夫の両親との過去の経験の二の足を踏むわけにはいかない。

「ヘルプ!」  のサインをだしたらすぐにも飛んでいってあげたいと思う。

今は、それを待っている。