私は、栃木のKさんに、Kさんもお忙しい中、電話をした。
その中で、私は、いっつも、O合さんに怒られる、というか叱られる。
今日も、私が、お寺で、ハーモニカを持ってゆき、唱題行が終わった後に、小さな音で奏でていたら、折り悪く、又もや、O合さんに見つかり、叱られた旨、御話しした。
それは、以前の、O合さんが、私を多趣味で、女の子みたいなんだ、と言ったのを、去年の後半に、私は恨みに燃え、長文の反論、というか、恨み節をメールで書いた。
それを、O合さんは、脅迫だばい、と言ったが、この関係、O合さんと、私の関係を、Kさんは、どう思いますか、と訊いてみた。
O合さんは、私の地区の女子婦人部長でもあり、本来は、盾突くのもあれなんだろうとは、思うのであるが。
すると、Kさんは、簡単な事だ。その言われた時に、真っ先に、今どきの男の子、男子だって、多趣味な男の人なんて、一杯居ますよ、と言えばよい。とこう、仰られた。
成程、最初にジャブ、パンチを繰り出し、相手がぐうの音も出ない程までに、言い返していれば、こんな周り道はせずに済んだ話…。私が怠慢だから、こんなにこじれてしまったのだ。
確かに、言われてみればそうだ。最初に、言い返すチャンス、周りに自分がどう映るかよりも、自分の言いたい、意見を、忌憚なく、述べてみる。それが、そこが、怠惰である自分は、配慮に最初から欠けていた。
折伏も同じだ。その場で、言うべきことを言わないで帰るなど、こちらも胸糞悪く、言いたいことも言えずに、こちらのモチベーションも下がる。しかし、節度ある折伏も必要だが。まあ、折伏の場合、言いたい事の、七、八割言えれば、合格ではなかろうか。
今現代の、いじめ問題にも、共通する話題ではなかろうか。
それが、この、去年の、この高齢女性との会話、皆を介しての時は、言われっ放し、こちらの反論もせずに、何も言い返せずに、終わってしまった。
これは、慢心ではないだろうか。敢えて言わないという、省略した積りが、ここまでこじれにこじれる位ならば、最初に、言いたい事を、反論する位、年齢などはこの際、全く関係など無い。向こうがこう言ったならば、こちらもこうだと、打って出たって、何も失礼ではない。むしろ、言わなかったから、失礼な事へと悪い方へと発展して行ってしまった。
これからは、言いたい事はキチンとその場で言う。反論する。切り返す。必ずに。後悔しないように、自身を改めたい。後悔しない人生を歩む為には、これしかないのだ。それが今日は良く分かった。
※編集後記
しかし、その、O合さんと、私との、絶妙な、信徒間の尊敬と信頼に満ち溢れ、包まれた、地元地域の和、姉弟関係のようなものを、栃木のKさんも「いいじゃない」と言って、最大限にうらやまし気に褒めていた。
私も、怒るのと、叱るのを、混同、誤解していたきらいがあり、今に至るまで、その違いが時々判らなくなる時もある。
確かに、お寺は、遊園地や娯楽場ではなく、ハーモニカも、日蓮正宗内の音楽部、楽団の人達ならばいいだろうが、その人達だって、場を弁(わきま)えて、行なっている。やはり、場違いには相違ない。
しかし、そして、これも反省だが、私は、もっと、自由な日蓮正宗というものを志向したい。創価では、座談会等で、余興として、そうした楽器演奏等も、皆が集まる時、披露する者もいると聞く。実際に、私は見た事も聞いた事も無かったが。
そういった、文化面での、見劣りが、果たして正宗側には無いのか。しかし、娯楽の場ではなく、修行の場という、建前も存在する。これは悩ましい問題だ。(個人的には、本堂ではなく、又、近所迷惑になる、外の庭でもなく、ロビー、廊下や、うちのお寺独特の作りの、皆のくつろぎの集会所、あずま屋の所なら、OKなのではないかと思っているが)。
既に、動画では御話しした、音楽一家の、Y口F子さんが、今日は来ていて、音楽って素晴らしいよね!と言われて、帰って行かれたのが、印象に残る。F子さんの旦那さんも、ハーモニカ好きであり、以前、皆の前で披露していたと言う。それも、私は動画で話している。
元々、郡山市という土地柄も、「楽都」と呼ばれる程に、音楽と縁があり、郡山は音楽の街となっている。
やはり、私は、素晴らしい音楽の力を信じたいと考えている。
以上。よしなに。長文失礼。wainai
やさしく・さらっと・にこやかに お願いしますね。