私は、我がお寺、日蓮正宗無量山寿海寺の副講頭、重鎮の、B場さんを、この上なく、高く評価したい。
B場さんを、悪く言う人もいる。私も何回か聴いた。しかし、そのほとんどが、B場さんの、性格が変わる(直る?!)前の、人生の前半の御話しがほとんどなのだ。
だから、私なんかが、B場さんの前で、私の素を出して、私と和気藹々(わきあいあい)のおしゃべりを、私とB場さんがやってるのを見て、或る人々は、怪訝な顔をする人たちも、居るには居る。
しかし、私は、今までに、この副講頭さんを、コワいだとか、高飛車だとか、高慢だとか、思った為しが一度として、ない。とても、いい人なのだ。
それを、あしざまに言う人を見て、私は、一人、悲しい気持ちになる。
御自分でも、副講頭B場さんは、こう見えても、私、は、年を重ねて、やっと、自分というか、確かに若い頃は無茶をやったり、傲慢に振舞ったり、乱暴な言動もあったかも知れない。けれども、今は、それらを反省して、性格が丸く、本当に、人間って、年を重ねると、まーるく、なるもんなんだよナイ、と、いつものB場さん節で、自身を表現して見せた。
私は思う。副講頭B場さんは、年を単に重ねただけで、あんな風な、見事に性格を改造、変身、決して、自身を改めたのではないのだと。
それは詰まりは「妙法」、「妙法蓮華経」のお陰で、あーも、あんなに立派に、見事な蘇生、生まれ変われたんだと。
全ては「南無妙法蓮華経」なのである。御題目で、悪しき性格も、一変するのである。
私はこの間から、人の性格までは代えられない、とてもじゃないが、代える事など出来る筈が無い、などと豪語し、このブログ記事でも、大口叩いて、述べた事も有った。
しかし、ここに、副講頭・B場さんという、良き実例、変毒為薬の、宿命転換の、良き例が、あるではないか。
私などは、この、B場さん夫婦、ご夫妻に、なんて可愛がられているんだろう、という位、この御夫婦に、優しく親しくされて、本当に愛されている、のが身に染みて判る。
B場さんなりに、不器用なんだが、言葉も愉快ないなかっぺの、郡山弁で私に接してくれて、いつも、電話や、お寺での会話でも、大変に楽しくお世話になっている。私は、こんなに好待遇の、素晴らしい柔らかな物腰で接して下さる、御両人御夫婦に、拍手喝さいを送りたい。
この、この人たちだけじゃない。うちの、日蓮正宗無量山寿海寺の信徒の、僧俗の、一人びとりの方々を、私は裏切れない。裏切らない。決して絶対に。私程の、果報者、御恩を、このお寺から受けた者は、居ないかも知れない。そう思うのは、私だけではないかも知れないが…。それは、御住職様、奥様、講頭さん、今言った副講頭さん、その他、重役の、役職の方々、一般信徒の方々、等々、多数に上る。
とにかく、私は、この御恩恵を、御本仏宗祖日蓮大聖人様の下種仏法と共に、三大秘法の戒壇の大御本尊様と共に宣揚し続ける義務・責任・御役目がある。
本日、お寺に行って、本当に良かった、と思い直した一日であった。
とにかく、御恩返し、だと思う。
以上。よしなに。wainai