郡山市の日蓮正宗のお寺、寿海寺では毎朝十時から南無妙法蓮華経のお題目を一時間唱える唱題行が行われている。
私も時々参詣するが、私の不徳と致す所、いつも遅刻してしまう。
しかし、自由な参詣がお寺のモットーであり、叱られる事は無い。
お題目を唱えた後は、御住職様の御説法を、学習会として、日蓮正宗の御本の一節を読み上げた後、拝聴する。
御住職様のお話は、人生の事、人の生き様、世の中の情勢、邪宗教の邪またる由縁など多岐にわたる。創価学会の過ちについて触れられる事も多い。
この間は、また私は遅刻してしまい、とうとう叱られるか、と観念して、御説法の後、「○○君(私の事)」と御住職様は一言いい、何かな、と思えば、
「今は三密にならないように、二メートル以上人との間を離れなければいけない事になっている。けれど○○君はI本さんとO合さんのど真ん中に座っている。親しいから、二人の隣に行きたい気持ちも解るけれど、決まりは守らないといけません」と言われ、私も距離を取って座り直した。
二人は離れて椅子に座っていたが、私はその間に正座をして座ってしまったのだ。
「済みません」と私は言い、最後の題目三唱をして、散会となった。
これは私に非があったが、皆さん何もなかったように、挨拶を交わし、私も一言二言、話をして、帰ってきた。
G前講頭さんは、御住職様からご注意を受ける事はいい事だという。自分の誤りを知り、直すきっかけになる、何より、それが仏法上も良い事なのだと。
修利槃特《すりはんどく》尊者 という仏弟子が釈尊には居た。しかし、物覚えの悪いすりはんどくはお経も、自分の名前さえも覚えられない。そこで、釈尊はすりはんどくに掃除のホウキを持たせ、庭の掃除をするよう言い聞かせた。
すりはんどくは毎日掃除をした。そして数十年後、すりはんどくは、自分の心のチリを払う如く、掃除をすれば自分も周りも幸せになる、と悟った。釈尊の狙いもズバリ、そこにあった。
私も、すりはんどくのチリを払うのが自分の心の汚れを払う契機になった故事に習い、毎日一日一ミリでも善行を積んで行こうと思う。