ちい散歩とゆうゆう散歩とじゅん散歩~テレビ番組から
January 23, 2016, 3:50 pm≫ Next: 電子計算機(電卓)≪ Previous: 今年も雪の季節がやって来た
ちい散歩は地井武男が街を散歩する、ゆうゆう散歩は加山雄三が、じゅん散歩は高田純次が散歩するテレビ番組だ。テレビ朝日系でやっている。
この中で、圧倒的な安定感で個人的に好きだったのが、加山雄三のゆうゆう散歩だった。極自然に街に溶け込み、自分の好きなことにはどん欲なまでに街に入り、しかし適度に距離を保ち、人々と触れ合う。適度な品の良さと加山の育ちの良さが相まって、とても見ごたえがあった。最初は余り期待はしていなかったのが正直な所だったけど。
ちい散歩は、初めての散歩番組シリーズだったが、惜しまれて亡くなったが、加山雄三の番組と比べると、地元の訳がわからない子供としつこく触れ合ったり、多少、俳優人生に毛が生えた程度の暇な感じがした。余り記憶に残らない、どこの街を歩いたのかも記憶していない。
じゅん散歩は、高田純次が冗談だか何だか悪ノリしていて、余り好きではない。大体、品がない。地べたをベタベタ触った手で手も洗わずにすぐに食べ物屋に入り食事したり、その後その手をすぐ鼻や口に持って行ったりとか、街の人に冗談半分で物を言い、呆気に取られていたり、こちらは始終ハラハラしどうしで、何だか興醒めだ。
加山雄三は、自身のアメリカ国籍の維持の為、アメリカにいる妻と別居状態が報じられ、その国籍確保と、自身の船の趣味の為の散歩引退だ。記憶に残るのは、わたしの親戚も通った園芸高校に加山自身学校の校舎に入って、そこの生徒と触れ合ったり、様々な食を味わいながら、そのおいしさを画面に引き出し強調して、本人も楽しそうにおいしそうに気さくに味わっていたことだ。
こういう散歩モノは、最近のテレビの特集でも組まれたりして、これらの番組はそのはしりとなったと思われる。その派生系で、バス旅での徳光の路線バス乗り継ぎ、田川、蛭子のバス旅などの乗り物系など、視聴者を楽しませている。余りバス旅は好きでもないが、歩く散歩程度だと、距離感や街の実感が視聴者のこちら側にも実感として伝わってくる。懐かしい街の風景が出てくることも稀にある。そういった散歩番組を、これからも見ていきたい。
この中で、圧倒的な安定感で個人的に好きだったのが、加山雄三のゆうゆう散歩だった。極自然に街に溶け込み、自分の好きなことにはどん欲なまでに街に入り、しかし適度に距離を保ち、人々と触れ合う。適度な品の良さと加山の育ちの良さが相まって、とても見ごたえがあった。最初は余り期待はしていなかったのが正直な所だったけど。
ちい散歩は、初めての散歩番組シリーズだったが、惜しまれて亡くなったが、加山雄三の番組と比べると、地元の訳がわからない子供としつこく触れ合ったり、多少、俳優人生に毛が生えた程度の暇な感じがした。余り記憶に残らない、どこの街を歩いたのかも記憶していない。
じゅん散歩は、高田純次が冗談だか何だか悪ノリしていて、余り好きではない。大体、品がない。地べたをベタベタ触った手で手も洗わずにすぐに食べ物屋に入り食事したり、その後その手をすぐ鼻や口に持って行ったりとか、街の人に冗談半分で物を言い、呆気に取られていたり、こちらは始終ハラハラしどうしで、何だか興醒めだ。
加山雄三は、自身のアメリカ国籍の維持の為、アメリカにいる妻と別居状態が報じられ、その国籍確保と、自身の船の趣味の為の散歩引退だ。記憶に残るのは、わたしの親戚も通った園芸高校に加山自身学校の校舎に入って、そこの生徒と触れ合ったり、様々な食を味わいながら、そのおいしさを画面に引き出し強調して、本人も楽しそうにおいしそうに気さくに味わっていたことだ。
こういう散歩モノは、最近のテレビの特集でも組まれたりして、これらの番組はそのはしりとなったと思われる。その派生系で、バス旅での徳光の路線バス乗り継ぎ、田川、蛭子のバス旅などの乗り物系など、視聴者を楽しませている。余りバス旅は好きでもないが、歩く散歩程度だと、距離感や街の実感が視聴者のこちら側にも実感として伝わってくる。懐かしい街の風景が出てくることも稀にある。そういった散歩番組を、これからも見ていきたい。