申し遅れましたが、本日、我が菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺にゆき、本来は、第二地区の座談会ではあったが、私も飛び入り参加で、ペットボトルのお茶まで頂き、その会に参加した。
その後、講頭さんともお話しし、どうしても、私のその、ブログの顛末、分からないと講頭さんが理解が出来ない部分の申し開きを致して、分かって頂いた。成程、それが、今日のあの、私の謝罪の文章に、そうやってつながるんだ、と改めて、私の言葉足らずで、誇大妄想に満ち満ちた、考え、私の文章に、ようやく理解を示した講頭さんは、そこで、実際に、けじめをつける意味で、御住職様に、御謝りになった方が宜しいのではないのか、との言葉を受けて、自身、最初は、否定的な、とてもじゃないが、私は許されざるものである、と言いつつ、すぐさま、御住職様の御前で、御謝り、謝罪をした。
御住職様は、終始、ニコニコ、笑みを浮かべて居り、私の悪行、悪業、には全く捉われたり、悪くは思ってはいない事が、あからさまに、手に取るように分かる。申し訳ないと、一層、私は思いつつ、自身の間違って行なった、ボタンの掛け違いをして行った経過、全て、その時の病状の悪さ重さ、誇大妄想の為せる業、非常に申し訳ない、との感が重く私自身、のしかかり、感じ入る所があり、その場で、自然に土下座を、本当に、本気になって、思えばしていた。
本当に、謝罪をして良かった。御住職様にも、分かって頂けた。講頭さんも、私の口の、言葉の言い足りなさを、その場で、私に成り代わって、言葉を補い、補足をしてくれていた。
今日は、私にとり、自身の、最良の、蘇生の日となった。
御本仏宗祖日蓮大聖人御書『法華題目抄』
「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり。」(御書三六〇頁)
「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり。」(御書三六〇頁)
以上。よしなに。wainai