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●著者のことは全く知らなかったけど、魅力あるタイトルに釣られて、新刊図書だったこともあり、借り出した。「岩波新書」だとは知らなかった・・・。
●激動の7世紀の東アジア・・・日本・新羅・唐に出現した女帝、
日本:推古、皇極、斉明、間人、倭姫、持統
新羅:善徳、真徳
唐 :武則天
について、文献をベースに、その生涯を描き出した労作といえば労作。
●参考文献もたくさんあって、随分と研究されて書かれたんだろうと思う。もう一度借り出してゆっくり読んでみたいと思う著作であった。
●当時の女性(女帝)を、自主自立した思想・思考をもった人間としてとらえ、積極的に評価する視点から書いてある。
●それはそれでよいが、当時の歴史的な“激動”のとらえ方や描き方にはとても不満が残った、当時といえば、いわゆる“白村江の戦い”・・・唐・新羅連合軍と倭国(+百済の残党)の戦い(百済はすでにその直前に滅亡している)・・・は避けては通れない出来事でしょう・・・それなのに、皇極~持統まで、そんな悲惨な戦いの痕跡などなかったかのような、その後の日本国を支え動かした女帝群の描き方ってのはどんなもんなんでしょう・・・。やはり、唐・新羅と戦った“倭国”と近畿にあった王朝(その後“日本”と名乗った)とは別物ととらえないと理解できないんじゃないでしょうか。唐の占領軍も倭国(九州・筑紫)に何度も来ているし、“日本”は倭国を裏切って参戦しなかったので、その後の繁栄があった・・・というのが歴史の真相ではないか・・・と、“古田史学かぶれ“の私なんか、思ってしまう。ちなみに、斉明は皇極の重祚というのが教科書的通説だが、古田説では、斉明(サイメイではなくサイミョウ)は九州王朝の最後の天子・・・。
●新羅の善徳・真徳・・・韓国ドラマで「善徳女王」、何度も見たので感情移入も手伝って、興味深く読めたが、これももう少し深い描き方をしてほしかった・・・女性の有能さ、能力を描くのに急で、その辺の深さが足らないような気がした。
●武則天・・・これは面白かった、というより勉強になりました。なかなかの女性だったんですねえ・・・
👍👍👍 🐒 👍👍👍