日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆
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・客臘、小・中・高と一緒だった親友Sが溘焉として逝った。身内で葬儀を済ませてしまっていたので、中学時代からの親友二人(KとY)と、臘尾も臘尾、暮れも残すところあと3日というときに、一緒に眠っているという大宮(埼玉県・大宮)の先塋の掃苔に行ってきた。5年前にも大学時代の一番の親友Yを亡くしており、熟、人生の桑楡を感じてしまうこの頃ではある・・・。で、いよいよ(漢検28-3の受検が済んでからということで約束していた)、K・Yとの来週の熱海1泊旅行で、改めて、Sの追賁を行う・・・
・日本有数の理系専門の国立大(数学科)に現役合格したS・・・
・・・てっきり学者か研究者になるかと思っていたのに民間企業に就職してしまったS、朴訥で沈思黙考型の性格からして、民間企業には向いていないと思っていたのだが・・・苦労したのか、退職してから最近は腎臓を患っていたらしい・・・
・・・少なくとも中学時代は数学は俺のほうが上だと思ってたのにな・・・なにしろ、中学3年間、テストというテスト、数学はすべて満点だったのは学年で俺ぐらいだった筈だぞ・・・一緒に進学した高校では、ま、高2(県立の進学校なので文系・理系問わず高2で全員数Ⅲ修了)までは互角だったかな・・・俺は方針変更して文系にしちゃったからな・・・
・親思い・親孝行の篤い心が祟って、三十数回もお見合いしたのに、結局、嫁娶できなかったS・・・何度か聞いてみたときに、見合いの席で「親の面倒を見るのは当たり前」「莨を吸う女は嫌い」「化粧の匂いのキツイのはイヤ」などと公言して憚らなかったらしい・・・あれだけアドバイスしてやったのに、頑迷固陋で融通の利かなかったS、おまけに男兄弟なしの長男ってんじゃあ・・・誰でも尻尾巻いて逃げるってことに思い至らなかったS・・・小6のときの初恋の人が忘れられないというのも一因だったかも・・・理想はそういうタイプだと言ってたもんな・・・しかし、もう結婚しちゃったんだから諦めろといったのにな、幻影・理想を追い求め過ぎたか・・・でも、その人(俺もよく知っていた人だが)、この間、まだ地元にいて親の介護をしているYに聞いたら、離婚したらしい・・・
・野球少年だった俺と将棋少年だったS・・・親しくなったのは、小6の時の、休み時間中の校庭での2人騎馬戦でコンビを組んでからだったか・・・そういえば、いつも俺が馬役だった・・・その時の担任のところには大人になってからも正月よく一緒に遊びに行ったな、俺なんか、結婚の妁までしてもらっちゃったからな・・・
・100回やって1回勝てるかどうかというくらい、将棋は滅法強かった、とてもじゃないが、歯が立たなかった・・・でも、大学入ってから(小4の頃からやっていた)俺が教えてやった麻雀では、運7技3のSは、運3技7の俺の敵ではなかった・・・その時にできた薬指の、ペン胼胝ならぬ麻雀胼胝はお前のせいだぞ・・・将棋と違い麻雀に長考は禁物だと何度も言いきかせたのに・・・イライラして麻雀牌2枚を薬指と中指を使って初中後ガチャガチャさせていたから、変なとこに胼胝ができてしまったんだぞ・・・
・中2の(また、Sと同級となった)時、担任教師に反抗的だった俺、担任のせいでそのときの修学旅行に俺だけ連れてってくれないことになったとき、なぜか一緒に反抗してくれて、俺に付き合ってくれたS・・・あのとき、クラスの皆は楽しい楽しい修学旅行だったのに、俺たち2人だけで寂しく、当時1軒しかなかった地元のP劇場(映画館)で観た加山雄三の「お嫁においで」は今でも忘れないで覚えているぞ・・・
・別に切磋琢磨したわけではないけど、その時からかな、お互い、急激に成績が伸びだしたのは・・・それまでは不良気味の少年だった俺、詰め将棋ばかりに没頭していたS、当時の北辰テスト(定期的な模試)でもお互いパッとしない成績だったけど、中2の終りのテストでは、学年で確か2番と3番になったな・・・中3になると北辰テストが毎月あったけど、その頃はもう、学年で1~3番を常時争っていたな・・・24、60、9、5、2、3・・・これが俺の中1~中2の北辰テストの学年順位・・・ははは、今でも鮮明に覚えている・・・そういえば、高校進学のとき、Sは滑り止め高校の特待生として合格したなあ、もちろんいかなかったけど・・・逆に俺なんか、行った高校よりももっと難しい高校を“傾向と対策”もなしで急遽受けさせられて見事に不合格だったんだぞ、おかげ滑り止めなしのぶっつけ本番が県下一の高校だったなんて、今から思えば寒気がするわ・・・
・就職して年を経るにしたがって、会う回数もめっきり減ってきていたけど、最後に会って話したのは、銀座のエスクワイアクラブでだったか・・・バニーちゃんと懇ろに対応していたS・・・人間て、変わるもんだと思ったよ、少しだけな・・・でも結局、そのバニーちゃんともなんともなかったらしいじゃないか・・・
・ということで、思い出は尽きないが、遅ればせながら、来週、熱海で追賁をするよ、KとYと3人で・・・。悪かったな、200点取れた報告ができなくて・・・なんか、どこかでSに笑われているような気がするわ・・・ははは・・・
👍👍👍 🐔 👍👍👍 というわけで、漢検がらみの記事は明日からちょっと断続的な掲載になると思います。悪しからずご了承ください。 👍👍👍
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級199点以上 ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ③(非公開) ☆☆☆
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・客臘、小・中・高と一緒だった親友Sが溘焉として逝った。身内で葬儀を済ませてしまっていたので、中学時代からの親友二人(KとY)と、臘尾も臘尾、暮れも残すところあと3日というときに、一緒に眠っているという大宮(埼玉県・大宮)の先塋の掃苔に行ってきた。5年前にも大学時代の一番の親友Yを亡くしており、熟、人生の桑楡を感じてしまうこの頃ではある・・・。で、いよいよ(漢検28-3の受検が済んでからということで約束していた)、K・Yとの来週の熱海1泊旅行で、改めて、Sの追賁を行う・・・
・日本有数の理系専門の国立大(数学科)に現役合格したS・・・
・・・てっきり学者か研究者になるかと思っていたのに民間企業に就職してしまったS、朴訥で沈思黙考型の性格からして、民間企業には向いていないと思っていたのだが・・・苦労したのか、退職してから最近は腎臓を患っていたらしい・・・
・・・少なくとも中学時代は数学は俺のほうが上だと思ってたのにな・・・なにしろ、中学3年間、テストというテスト、数学はすべて満点だったのは学年で俺ぐらいだった筈だぞ・・・一緒に進学した高校では、ま、高2(県立の進学校なので文系・理系問わず高2で全員数Ⅲ修了)までは互角だったかな・・・俺は方針変更して文系にしちゃったからな・・・
・親思い・親孝行の篤い心が祟って、三十数回もお見合いしたのに、結局、嫁娶できなかったS・・・何度か聞いてみたときに、見合いの席で「親の面倒を見るのは当たり前」「莨を吸う女は嫌い」「化粧の匂いのキツイのはイヤ」などと公言して憚らなかったらしい・・・あれだけアドバイスしてやったのに、頑迷固陋で融通の利かなかったS、おまけに男兄弟なしの長男ってんじゃあ・・・誰でも尻尾巻いて逃げるってことに思い至らなかったS・・・小6のときの初恋の人が忘れられないというのも一因だったかも・・・理想はそういうタイプだと言ってたもんな・・・しかし、もう結婚しちゃったんだから諦めろといったのにな、幻影・理想を追い求め過ぎたか・・・でも、その人(俺もよく知っていた人だが)、この間、まだ地元にいて親の介護をしているYに聞いたら、離婚したらしい・・・
・野球少年だった俺と将棋少年だったS・・・親しくなったのは、小6の時の、休み時間中の校庭での2人騎馬戦でコンビを組んでからだったか・・・そういえば、いつも俺が馬役だった・・・その時の担任のところには大人になってからも正月よく一緒に遊びに行ったな、俺なんか、結婚の妁までしてもらっちゃったからな・・・
・100回やって1回勝てるかどうかというくらい、将棋は滅法強かった、とてもじゃないが、歯が立たなかった・・・でも、大学入ってから(小4の頃からやっていた)俺が教えてやった麻雀では、運7技3のSは、運3技7の俺の敵ではなかった・・・その時にできた薬指の、ペン胼胝ならぬ麻雀胼胝はお前のせいだぞ・・・将棋と違い麻雀に長考は禁物だと何度も言いきかせたのに・・・イライラして麻雀牌2枚を薬指と中指を使って初中後ガチャガチャさせていたから、変なとこに胼胝ができてしまったんだぞ・・・
・中2の(また、Sと同級となった)時、担任教師に反抗的だった俺、担任のせいでそのときの修学旅行に俺だけ連れてってくれないことになったとき、なぜか一緒に反抗してくれて、俺に付き合ってくれたS・・・あのとき、クラスの皆は楽しい楽しい修学旅行だったのに、俺たち2人だけで寂しく、当時1軒しかなかった地元のP劇場(映画館)で観た加山雄三の「お嫁においで」は今でも忘れないで覚えているぞ・・・
・別に切磋琢磨したわけではないけど、その時からかな、お互い、急激に成績が伸びだしたのは・・・それまでは不良気味の少年だった俺、詰め将棋ばかりに没頭していたS、当時の北辰テスト(定期的な模試)でもお互いパッとしない成績だったけど、中2の終りのテストでは、学年で確か2番と3番になったな・・・中3になると北辰テストが毎月あったけど、その頃はもう、学年で1~3番を常時争っていたな・・・24、60、9、5、2、3・・・これが俺の中1~中2の北辰テストの学年順位・・・ははは、今でも鮮明に覚えている・・・そういえば、高校進学のとき、Sは滑り止め高校の特待生として合格したなあ、もちろんいかなかったけど・・・逆に俺なんか、行った高校よりももっと難しい高校を“傾向と対策”もなしで急遽受けさせられて見事に不合格だったんだぞ、おかげ滑り止めなしのぶっつけ本番が県下一の高校だったなんて、今から思えば寒気がするわ・・・
・就職して年を経るにしたがって、会う回数もめっきり減ってきていたけど、最後に会って話したのは、銀座のエスクワイアクラブでだったか・・・バニーちゃんと懇ろに対応していたS・・・人間て、変わるもんだと思ったよ、少しだけな・・・でも結局、そのバニーちゃんともなんともなかったらしいじゃないか・・・
・ということで、思い出は尽きないが、遅ればせながら、来週、熱海で追賁をするよ、KとYと3人で・・・。悪かったな、200点取れた報告ができなくて・・・なんか、どこかでSに笑われているような気がするわ・・・ははは・・・
👍👍👍 🐔 👍👍👍 というわけで、漢検がらみの記事は明日からちょっと断続的な掲載になると思います。悪しからずご了承ください。 👍👍👍