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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
<漢検1級 27-③に向けて その64>
●徳富蘇峰と森鴎外の2本立てです。ちょっと難度高いかも・・・。漢字自体は決して難しい字ではないんですが・・・。
●80%(24点)以上は取りたいところ・・・・。
●文章題㉚:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
A.「将来の日本」(徳富蘇峰)
「・・・ただ一見せば欧州は腕力の世界なり。少しくこれを観察するときには裏面にはさらに富の世界あるを見、兵と富とは二個の大勢力にして「いわゆる日月双び懸りて、(ア)乾坤を照らす」のありさまなるを見るべし。しかれどもさらに精密にこれを観察せば兵の太陽はその光輝燦爛たるがごとしといえども(1)セキキすでに斜めに西山に入らんとする絶望的のものにして、かの富の太陽は紅輪(イ)杲々としてまさに半天に躍り上らんとする希望的のものなるを見るべし。しかして今さらに一層の思考を凝らすときはこの絶望的の光輝も、(ウ)畢竟するにかの希望的の光輝に反映して(エ)霎時に幻出したるものにして、これをたとえばかの月はもとより光輝なきものなれどもただ太陽の光輝に反映して美妙の光を放つがごときを見るべし。それ月の光は太陽の光なり。もし太陽の光を除き去らば月光とて別に見るべきものはあらざるなり。今日において兵の勢力あるは富の勢力を仮りたればなり。もし富の勢力を除き去らば兵の勢力とて別に見るべきものはあらざるべし。おもうに世の活眼家はこの道理をたやすく承認すべし。
・・・頼襄曰く「余かつて東西を歴遊し、その山河起伏するところを考え、おもえらくわが邦の地脈東北より来たりて、ようやく西すればようやく小なり。これを人身にたとうれば、陸奥、出羽はその首なり。甲斐・信濃はその背なり。関東八州および東海諸国はその胸腹、しかして京畿はその (2)ヨウデンなり。山陽南海より西に至っては股のみ、脛のみ」と。吾人はこの比喩のはたして当を得たるや否やを知らず。しかれども実にわが邦の地形はもっとも不同にして東北より西南に向かって蜒々として一の(3)セイテイ形をなし、山岳うちに秀で、河海外を(オ)繞るがゆえに、その風土もおのずから適度の不同を得、これがために社会生産の発達を刺衝する、一にして足らず。それ形勢の不同よりして上古のギリシアは文明の先鞭者となれり。しからばいずくんぞ今日においてわが邦の前途を疑うものあらんや。しかしてかつわが邦人民はさらに一の記憶しかつ注意せざるべからざることあり。なんぞや曰くわが邦は島国なることこれなり。
・・・およそ政治上においても、経済上においても、媚びを呈し、(4)テンを献じ、百怜千悧、みずから幇間者流をもって任ずるの輩は、深く責むるにも足らず。ただ吾人が朋友味方とも思い、たのもしき人々と親信する、いわゆる自由の弁護者、民権の率先者、天下の志士をもって任じ、慷慨悲歌みずから禁ずるあたわざる正義諸君子の挙動に関しても、はなはだ敬服の情を表するあたわざるものなり。
そもそもこの諸君子は純乎たる急進自由の率先者なればその政治上の意見・議論・運動・行為は徹上徹下、ただ自由主義と相始終するこそ志士の本色とも、真面目ともいうべきなれども、退いてその私を省みれば、なるほど自由主義は自由主義に相違なかるべしといえどもわが邦一種特別の自由主義にして、いわゆる江南の橘もこれを江北に移せば(カ)枳となるがごとく、アングロサクソンの自由主義もこれをわが邦に移せばおのずからその性質を一変し、むしろこれを日本流もしくは封建的の自由主義といわざるべからざるがごとき異相を呈したり。なんとなればかの諸君子は平生は諤々として単純なる自由民権の主義を論弁するにかかわらず、たちまち隣国に事あれば曰くなんぞすみやかに長白山頭の雲を踏み破って四百余州を蹂躙せざるやと。それ外戦ひとたび開かば、政府の権力いよいよ増大ならざるを得ず。政府の権力いよいよ増大なるときは一己人民の権力いよいよ減少せざるを得ず。武備機関いよいよ膨脹するときには生産機関はいよいよ収縮せざるを得ず、常備軍の威勢飛んで天を圧するときは、人民の権理舞うて地に墜つるのときなりといわざるをえず。しかるにかの諸君子はかかることを思うや思わざるや、人民の利害(5)キュウセキをば児戯のごとくに見なし、ただただ開戦論を主張し、ひとりこれにとどまらず、あわせてこれを実行せんと欲し、あるいは義捐金をなし、あるいは従軍の嘆願をなし、あるいは猛激粗暴なる檄文を投じ、あるいは(6)キゲキ無謀なる挙動をなし、(7)テンとしてみずから怪しまず、かえって志士の本色となすがごときはなんぞや。しかしてまた傍観者のこれを擯斥せざるのみならず、かえって喝采鼓舞するものあるはなんぞや。・・・」
B.「津下四郎左衛門」(森鴎外)
「・・・津下四郎左衛門は私の父である。(私とは誰かと云ふことは下に見えてゐる。)しかし其名は只聞く人の耳に空虚なる固有名詞として響くのみであらう。それも無理は無い。世に何の貢献もせずに死んだ、(キ)艸木と同じく朽ちたと云はれても、私はさうでないと弁ずることが出来ない。
かうは云ふものの、若し私がここに一言を附け加へたら、人が、「ああ、さうか」とだけは云つてくれるだらう。其その一言はかうである。「津下四郎左衛門は横井平四郎の首を取つた男である。」
丁度世間の人が私の父を知らぬやうに、世間の人は皆横井平四郎を知つてゐる。熊本の小楠先生を知つてゐる。
私の立場から見れば、横井氏が栄誉あり(8)ケイショウある家である反対に、津下氏は恥辱あり(9)オウキュウある家であつて、私はそれを歎かずにはゐられない。
此の禍福とそれに伴ふ晦顕とがどうして生じたか。私はそれを推し窮めて父の冤を雪ぎたいのである。
徳川幕府の(ク)末造に当つて、天下の言論は尊王と佐幕とに分かれた。苟も気節を重んずるものは皆尊王に趨つた。其時尊王には攘夷が附帯し、佐幕には開国が附帯して唱道せられてゐた。どちらも二つ宛のものを一つ一つに引き離しては考へられなかつたのである。私は引き離しては考へられなかつたと云ふ。是れは群集心理の上から云ふのである。
・・・四郎左衛門は勇戦隊にゐるうちに、義戦隊長藤島政之進の下に参謀のやうな職務を取つてゐた上田立夫と心安くなつた。二人が会合すれば、いつも尊王攘夷の事を談じて慷慨し、所謂万機一新の朝廷の措置に、動もすれば(10)インジュンの形迹が見はれ、外国人が分外の尊敬を受けるのを(ケ)慊らぬことに思つた。それは議定参与の人々の間には、初から開国の下心があつて、それが漸く施政の上に発露して来たからである。
或る日二人は相談して、藩籍を脱して京都に上ることにした。偕に(コ)輦轂の下に住んで、親しく政府の施設を見ようと云ふのである。二人の心底には、秕政の根本を窮めて、君側の奸を発見したら、直ちにこれを除かうと云ふ企図が、早くも此の時から萌してゐた。
二人は京都に出た。さて議定参与の中で、誰が洋夷に心を傾けてゐるかと探つて見た。其時二人の目に奸人の巨魁として映じたのは、三月に徴士となつて熊本から入京し、制度局の判事を経て、参与に進んだ横井平四郎であつた。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍
(1)夕暉 (2)腰臀 (3)蜻蜓 (4)諂 (5)休戚 (6)詭激 (7)恬 (8)慶祥 (9)殃咎 (10)因循
(ア)けんこん (イ)こうこう (ウ)ひっきょう (エ)しょうじ (オ)めぐ (カ)からたち (キ)そうもく (ク)ばつぞう (ケ)あきた (コ)れんこく
👍👍👍 🐑 👍👍👍
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
<漢検1級 27-③に向けて その64>
●徳富蘇峰と森鴎外の2本立てです。ちょっと難度高いかも・・・。漢字自体は決して難しい字ではないんですが・・・。
●80%(24点)以上は取りたいところ・・・・。
●文章題㉚:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
A.「将来の日本」(徳富蘇峰)
「・・・ただ一見せば欧州は腕力の世界なり。少しくこれを観察するときには裏面にはさらに富の世界あるを見、兵と富とは二個の大勢力にして「いわゆる日月双び懸りて、(ア)乾坤を照らす」のありさまなるを見るべし。しかれどもさらに精密にこれを観察せば兵の太陽はその光輝燦爛たるがごとしといえども(1)セキキすでに斜めに西山に入らんとする絶望的のものにして、かの富の太陽は紅輪(イ)杲々としてまさに半天に躍り上らんとする希望的のものなるを見るべし。しかして今さらに一層の思考を凝らすときはこの絶望的の光輝も、(ウ)畢竟するにかの希望的の光輝に反映して(エ)霎時に幻出したるものにして、これをたとえばかの月はもとより光輝なきものなれどもただ太陽の光輝に反映して美妙の光を放つがごときを見るべし。それ月の光は太陽の光なり。もし太陽の光を除き去らば月光とて別に見るべきものはあらざるなり。今日において兵の勢力あるは富の勢力を仮りたればなり。もし富の勢力を除き去らば兵の勢力とて別に見るべきものはあらざるべし。おもうに世の活眼家はこの道理をたやすく承認すべし。
・・・頼襄曰く「余かつて東西を歴遊し、その山河起伏するところを考え、おもえらくわが邦の地脈東北より来たりて、ようやく西すればようやく小なり。これを人身にたとうれば、陸奥、出羽はその首なり。甲斐・信濃はその背なり。関東八州および東海諸国はその胸腹、しかして京畿はその (2)ヨウデンなり。山陽南海より西に至っては股のみ、脛のみ」と。吾人はこの比喩のはたして当を得たるや否やを知らず。しかれども実にわが邦の地形はもっとも不同にして東北より西南に向かって蜒々として一の(3)セイテイ形をなし、山岳うちに秀で、河海外を(オ)繞るがゆえに、その風土もおのずから適度の不同を得、これがために社会生産の発達を刺衝する、一にして足らず。それ形勢の不同よりして上古のギリシアは文明の先鞭者となれり。しからばいずくんぞ今日においてわが邦の前途を疑うものあらんや。しかしてかつわが邦人民はさらに一の記憶しかつ注意せざるべからざることあり。なんぞや曰くわが邦は島国なることこれなり。
・・・およそ政治上においても、経済上においても、媚びを呈し、(4)テンを献じ、百怜千悧、みずから幇間者流をもって任ずるの輩は、深く責むるにも足らず。ただ吾人が朋友味方とも思い、たのもしき人々と親信する、いわゆる自由の弁護者、民権の率先者、天下の志士をもって任じ、慷慨悲歌みずから禁ずるあたわざる正義諸君子の挙動に関しても、はなはだ敬服の情を表するあたわざるものなり。
そもそもこの諸君子は純乎たる急進自由の率先者なればその政治上の意見・議論・運動・行為は徹上徹下、ただ自由主義と相始終するこそ志士の本色とも、真面目ともいうべきなれども、退いてその私を省みれば、なるほど自由主義は自由主義に相違なかるべしといえどもわが邦一種特別の自由主義にして、いわゆる江南の橘もこれを江北に移せば(カ)枳となるがごとく、アングロサクソンの自由主義もこれをわが邦に移せばおのずからその性質を一変し、むしろこれを日本流もしくは封建的の自由主義といわざるべからざるがごとき異相を呈したり。なんとなればかの諸君子は平生は諤々として単純なる自由民権の主義を論弁するにかかわらず、たちまち隣国に事あれば曰くなんぞすみやかに長白山頭の雲を踏み破って四百余州を蹂躙せざるやと。それ外戦ひとたび開かば、政府の権力いよいよ増大ならざるを得ず。政府の権力いよいよ増大なるときは一己人民の権力いよいよ減少せざるを得ず。武備機関いよいよ膨脹するときには生産機関はいよいよ収縮せざるを得ず、常備軍の威勢飛んで天を圧するときは、人民の権理舞うて地に墜つるのときなりといわざるをえず。しかるにかの諸君子はかかることを思うや思わざるや、人民の利害(5)キュウセキをば児戯のごとくに見なし、ただただ開戦論を主張し、ひとりこれにとどまらず、あわせてこれを実行せんと欲し、あるいは義捐金をなし、あるいは従軍の嘆願をなし、あるいは猛激粗暴なる檄文を投じ、あるいは(6)キゲキ無謀なる挙動をなし、(7)テンとしてみずから怪しまず、かえって志士の本色となすがごときはなんぞや。しかしてまた傍観者のこれを擯斥せざるのみならず、かえって喝采鼓舞するものあるはなんぞや。・・・」
B.「津下四郎左衛門」(森鴎外)
「・・・津下四郎左衛門は私の父である。(私とは誰かと云ふことは下に見えてゐる。)しかし其名は只聞く人の耳に空虚なる固有名詞として響くのみであらう。それも無理は無い。世に何の貢献もせずに死んだ、(キ)艸木と同じく朽ちたと云はれても、私はさうでないと弁ずることが出来ない。
かうは云ふものの、若し私がここに一言を附け加へたら、人が、「ああ、さうか」とだけは云つてくれるだらう。其その一言はかうである。「津下四郎左衛門は横井平四郎の首を取つた男である。」
丁度世間の人が私の父を知らぬやうに、世間の人は皆横井平四郎を知つてゐる。熊本の小楠先生を知つてゐる。
私の立場から見れば、横井氏が栄誉あり(8)ケイショウある家である反対に、津下氏は恥辱あり(9)オウキュウある家であつて、私はそれを歎かずにはゐられない。
此の禍福とそれに伴ふ晦顕とがどうして生じたか。私はそれを推し窮めて父の冤を雪ぎたいのである。
徳川幕府の(ク)末造に当つて、天下の言論は尊王と佐幕とに分かれた。苟も気節を重んずるものは皆尊王に趨つた。其時尊王には攘夷が附帯し、佐幕には開国が附帯して唱道せられてゐた。どちらも二つ宛のものを一つ一つに引き離しては考へられなかつたのである。私は引き離しては考へられなかつたと云ふ。是れは群集心理の上から云ふのである。
・・・四郎左衛門は勇戦隊にゐるうちに、義戦隊長藤島政之進の下に参謀のやうな職務を取つてゐた上田立夫と心安くなつた。二人が会合すれば、いつも尊王攘夷の事を談じて慷慨し、所謂万機一新の朝廷の措置に、動もすれば(10)インジュンの形迹が見はれ、外国人が分外の尊敬を受けるのを(ケ)慊らぬことに思つた。それは議定参与の人々の間には、初から開国の下心があつて、それが漸く施政の上に発露して来たからである。
或る日二人は相談して、藩籍を脱して京都に上ることにした。偕に(コ)輦轂の下に住んで、親しく政府の施設を見ようと云ふのである。二人の心底には、秕政の根本を窮めて、君側の奸を発見したら、直ちにこれを除かうと云ふ企図が、早くも此の時から萌してゐた。
二人は京都に出た。さて議定参与の中で、誰が洋夷に心を傾けてゐるかと探つて見た。其時二人の目に奸人の巨魁として映じたのは、三月に徴士となつて熊本から入京し、制度局の判事を経て、参与に進んだ横井平四郎であつた。・・・」
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(1)夕暉 (2)腰臀 (3)蜻蜓 (4)諂 (5)休戚 (6)詭激 (7)恬 (8)慶祥 (9)殃咎 (10)因循
(ア)けんこん (イ)こうこう (ウ)ひっきょう (エ)しょうじ (オ)めぐ (カ)からたち (キ)そうもく (ク)ばつぞう (ケ)あきた (コ)れんこく
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(spaceplusさんから「様」はやめてと言われましたので「さん」にさせていただきます。)
眠かったせいか全く閃かず19点
すいません藉口です(笑)
やはり当て字・熟字訓は丸暗記ですね
まずは漢検漢字辞典の巻末からいかせていただきます。
spaceplusさん
早速エクセル作りはじめましたよ~
27-3までにどこまで暗記できるかな~
ありがとうございます。
スローボールの後で振る勇気がありませんでした(苦笑)
そのせいで、満点を逃してしまいました(泣)
rikurokuさん
すみません、"何もしていない僕に対して"「様」を付けるのは…という意味でした。
(たしか、27-2の点数発表の記事に対するコメントで「様」を付けられていたので。)
syuusyuu様に対してはそのままで結構ですので…。
というより、本来年下の自分が「様」を付けるべきなんですが、
今更変えるのも変ですよね…申し訳ありません。
もうしばらく文章題訓練を続けますので、お付き合いください