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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
<漢検1級 27-③に向けて その119>
●「文章題訓練」その㊽です。復習・おさらい用にどうぞ👍
●難度は並・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)
●文章題㊽:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
(A)
「・・・薬師寺の裏門から六条村へ出て、それからまっすぐに東へ、佐保川の流域である泥田の原のなかの道を、俥にゆられながら帰る。(ア)暮靄につつまれた大和の山々は、さすがに古京の夕らしい哀愁をそそるが、目を落として一面の泥田をながめやると、これがかつて都のただ中であったのかと驚く。佐保川の河床が高まって、昔の(1)コウソウな地を今の湿地に変えたのかも知れない。しかしまた都のうちに水田もあったらしい奈良京の大半は、当初からこの種の湿地であったとも考えられる。もしこの想像に相当の根拠が与えられるならば、このことは奈良京が短命であった理由として看過し難い。史家は政治上の理由や古来の遷都思想のみからこの点を説こうとしているが、この湿地の不健康性はもっと根本的な理由となり得たはずである。天平の中ごろに(2)ショウケツをきわめた疫瘡の流行は、特に猛烈にこの湿地を襲ったであろう。次いで起こった光明后の大患も、同じくこの湿地の間接の影響に基づいたのでないとはいえまい。この時に恭仁遷都の議が起こったのは、単に藤原氏の勢力を駆逐しようとする一派の貴族の策略とのみは考えられぬ。・・・
・・・この時代にも(3)ケッパツや衣服の唐風化が急速に行われた。それは外形のことに過ぎない。しかし外形の変革はやがて内部の変革を呼び出さずにはいなかったのである。
・・・さらに新人の(4)ユウなるものは、道昭、智通、定慧などの僧侶である。道昭は古い帰化人の(イ)裔であり、定慧は鎌足の子であるが、共に唐に入って(ウ)玄奘三蔵に学び、当時の世界文化の絶頂をきわめて来た。彼らのもたらしたものが単に法相宗の教義のみでなかったことはいうまでもない。
・・・掛かりの館員は愛想よく迎えて挨拶がすむと、さて何を出しましょう、まず法華寺三尊、さよう、どうしてもあれですな。館丁は命をうけて(5)キッキュウジョとして出て行く。それから何にしましょう、西大寺の十二天、さよう、(6)イップクでいいとなるとまず水天ですかな、まあそうでしょうな、それから、薬師寺の(7)キッショウテン、さよう、あれも代表的のものですからな、それから信貴山縁起、ようがす、それから、それだけですか、なにおよろしければいくらでも出しますよ。
・・・わたくしが初めてこの画を見た時には(8)バンを持った童子の画と共にガラス戸の中に掛けてあった。その朝奈良停車場に着いてすぐに博物館を訪れ、推古から鎌倉までのさまざまな彫刻をながめ暮らしたのであるが、閉館の時刻の迫った時に急いで画の陳列してある方へ行ってこの画にぶつかったのである。そこは窓のない室で幾分薄暗かった。しかしバンを持った童子の美しさはわたくしの目を引かないではいなかった。(エ)胡粉のはげかかった白い顔の愛らしさ、優しい姿をつつむ衣の白緑や緑青の古雅なにおい、暗緑の地に浮き出ている蓮の花びらの大気に漂う静かな心持ち、吹き流されている赤いバンに感ぜられる運動の微妙さ。わたくしはしばらくその前を動かなかった。やがて迫って来る時間に気づいて、中尊の阿弥陀像に(9)イチベツをくれたまま、急いでその室を立ち去った。阿弥陀像の印象として残ったのは体がいやに扁平なことと眼が特に目立っていながら顔がおもしろくないことぐらいなものであった。もちろんこの画が中尊で童子の画がそれに属していることなどはその時は知らなかった。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(B)
「・・・鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間あいだに、忽ち(オ)銀の光がさして、熱き埃を薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘(ねら)う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰むる。十丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜との鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみさんさんと靡かしている。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も革に(カ)裹みて飾れる鋲の数は篩い落せし秋の夜の(10)セイシュクを一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝らして眼を据える。・・・
曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を(キ)確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢いで、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず(ク)梭を(ケ)抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き(コ)台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭き眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出だす。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。・・・」」「薤露行」(夏目漱石)
👍👍👍 🙊 👍👍👍
(1)高燥 (2)猖獗 (3)結髪 (4)尤 (5)鞠躬如 (6)一幅 (7)吉祥天 (8)幡 (9)一瞥 (10)星宿
(ア)ぼあい (イ)すえ (ウ)げんじょう (エ)ごふん (オ)しろがね (カ)つつ (キ)しか (ク)ひ (ケ)な (コ)うてな
👍👍👍 🙊 👍👍👍
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●難度は並・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく90%以上とりたい(^^)
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(A)
「・・・薬師寺の裏門から六条村へ出て、それからまっすぐに東へ、佐保川の流域である泥田の原のなかの道を、俥にゆられながら帰る。(ア)暮靄につつまれた大和の山々は、さすがに古京の夕らしい哀愁をそそるが、目を落として一面の泥田をながめやると、これがかつて都のただ中であったのかと驚く。佐保川の河床が高まって、昔の(1)コウソウな地を今の湿地に変えたのかも知れない。しかしまた都のうちに水田もあったらしい奈良京の大半は、当初からこの種の湿地であったとも考えられる。もしこの想像に相当の根拠が与えられるならば、このことは奈良京が短命であった理由として看過し難い。史家は政治上の理由や古来の遷都思想のみからこの点を説こうとしているが、この湿地の不健康性はもっと根本的な理由となり得たはずである。天平の中ごろに(2)ショウケツをきわめた疫瘡の流行は、特に猛烈にこの湿地を襲ったであろう。次いで起こった光明后の大患も、同じくこの湿地の間接の影響に基づいたのでないとはいえまい。この時に恭仁遷都の議が起こったのは、単に藤原氏の勢力を駆逐しようとする一派の貴族の策略とのみは考えられぬ。・・・
・・・この時代にも(3)ケッパツや衣服の唐風化が急速に行われた。それは外形のことに過ぎない。しかし外形の変革はやがて内部の変革を呼び出さずにはいなかったのである。
・・・さらに新人の(4)ユウなるものは、道昭、智通、定慧などの僧侶である。道昭は古い帰化人の(イ)裔であり、定慧は鎌足の子であるが、共に唐に入って(ウ)玄奘三蔵に学び、当時の世界文化の絶頂をきわめて来た。彼らのもたらしたものが単に法相宗の教義のみでなかったことはいうまでもない。
・・・掛かりの館員は愛想よく迎えて挨拶がすむと、さて何を出しましょう、まず法華寺三尊、さよう、どうしてもあれですな。館丁は命をうけて(5)キッキュウジョとして出て行く。それから何にしましょう、西大寺の十二天、さよう、(6)イップクでいいとなるとまず水天ですかな、まあそうでしょうな、それから、薬師寺の(7)キッショウテン、さよう、あれも代表的のものですからな、それから信貴山縁起、ようがす、それから、それだけですか、なにおよろしければいくらでも出しますよ。
・・・わたくしが初めてこの画を見た時には(8)バンを持った童子の画と共にガラス戸の中に掛けてあった。その朝奈良停車場に着いてすぐに博物館を訪れ、推古から鎌倉までのさまざまな彫刻をながめ暮らしたのであるが、閉館の時刻の迫った時に急いで画の陳列してある方へ行ってこの画にぶつかったのである。そこは窓のない室で幾分薄暗かった。しかしバンを持った童子の美しさはわたくしの目を引かないではいなかった。(エ)胡粉のはげかかった白い顔の愛らしさ、優しい姿をつつむ衣の白緑や緑青の古雅なにおい、暗緑の地に浮き出ている蓮の花びらの大気に漂う静かな心持ち、吹き流されている赤いバンに感ぜられる運動の微妙さ。わたくしはしばらくその前を動かなかった。やがて迫って来る時間に気づいて、中尊の阿弥陀像に(9)イチベツをくれたまま、急いでその室を立ち去った。阿弥陀像の印象として残ったのは体がいやに扁平なことと眼が特に目立っていながら顔がおもしろくないことぐらいなものであった。もちろんこの画が中尊で童子の画がそれに属していることなどはその時は知らなかった。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(B)
「・・・鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間あいだに、忽ち(オ)銀の光がさして、熱き埃を薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘(ねら)う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰むる。十丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜との鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみさんさんと靡かしている。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も革に(カ)裹みて飾れる鋲の数は篩い落せし秋の夜の(10)セイシュクを一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝らして眼を据える。・・・
曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を(キ)確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢いで、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず(ク)梭を(ケ)抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き(コ)台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭き眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出だす。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。・・・」」「薤露行」(夏目漱石)
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(1)高燥 (2)猖獗 (3)結髪 (4)尤 (5)鞠躬如 (6)一幅 (7)吉祥天 (8)幡 (9)一瞥 (10)星宿
(ア)ぼあい (イ)すえ (ウ)げんじょう (エ)ごふん (オ)しろがね (カ)つつ (キ)しか (ク)ひ (ケ)な (コ)うてな
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