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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
<漢検1級 27-③に向けて その47 >
●「李陵」(中島敦)から、文章題⑰、⑱、⑲の3題です。
●各問題とも並みよりちょっと上の程度かも・・・80%(24点)はクリアしたいところ・・・・。
●文章題⑰~⑲:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
A.文章題⑰ 「李陵」(中島敦)
「・・・漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣(しゃりょしょう)を発して北へ向かった。阿爾泰(アルタイ)山脈の東南端が(ア)戈壁沙漠に没せんとする辺の磽确(こうかく)たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風は戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。(1)バクホク、浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。すでに敵匈奴の勢力圏に深く進み入っているのである。秋とはいっても北地のこととて、(イ)苜蓿も枯れ、(ウ)楡やかわやなぎの葉ももはや落ちつくしている。木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍を除いては)、容易に見つからないほどの、ただ砂と岩と(エ)磧と、水のない河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、まれに訪れるものとては曠野に水を求める (オ)羚羊ぐらいのものである。(2)トツコツと秋空を(カ)劃る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などに唆られるものはない。それほどに、彼らの位置は危険極まるものだったのである。
騎兵を主力とする匈奴に向かって、一隊の騎馬兵をも連れずに歩兵ばかり(馬に(3)マタがる者は、陵とその幕僚数人にすぎなかった)で奥地深く侵入することからして、無謀の極みというほかはない。その歩兵も僅か五千、絶えて後援はなく、しかもこの浚稽山は、最も近い漢塞の居延からでも優に一千五百里(支那里程)は離れている。統率者李陵への絶対的な信頼と心服とがなかったならとうてい続けられるような行軍ではなかった。
毎年秋風が立ちはじめると決まって漢の北辺には、胡馬に(キ)鞭った(4)ヒョウカンな侵略者の大部隊が現われる。辺吏が殺され、人民が(ク)掠められ、家畜が奪略される。
・・・(ケ)山峡の疎林の外れに兵車を並べて囲い、その中に(5)イバクを連ねた陣営である。夜になると、気温が急に下がった。士卒は乏しい木々を折取って(コ)焚いては暖をとった。十日もいるうちに月はなくなった。空気の乾いているせいか、ひどく星が美しい。黒々とした山影とすれすれに、夜ごと、(6)ロウセイが、青白い (7)コウボウを斜めに曳いて輝いていた。十数日事なく過ごしたのち、明日はいよいよここを立ち退いて、指定された進路を東南へ向かって取ろうと決したその晩である。一人の(8)ホショウが見るともなくこの(9)ランランたるロウセイを見上げていると、突然、その星のすぐ下の所にすこぶる大きい赤黄色い星が現われた。オヤと思っているうちに、その見なれぬ巨きな星が赤く太い尾を引いて動いた。と続いて、二つ三つ四つ五つ、同じような光がその周囲に現われて、動いた。思わずホショウが声を立てようとしたとき、それらの遠くの灯はフッと一時に消えた。まるで今見たことが夢だったかのように。
ホショウの報告に接した李陵は、全軍に命じて、明朝天明とともにただちに戦闘に入るべき準備を整えさせた。外に出て一応各部署を点検し終わると、ふたたび幕営に入り、雷のごとき(10)カンセイを立てて熟睡した。・・・」
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(1)漠北 (2)突兀 (3)跨(胯) (4)剽悍 (5)帷幕 (6)狼星(*シリウスのことらしい) (7)光芒 (8)歩哨 (9)爛々(爛爛) (10)鼾声
(ア)ごび(ゴビ) (イ)うまごやし (ウ)にれ (エ)かわら (オ)かもしか (カ)くぎ (キ)むちう (ク)かす (ケ)さんきょう(やまかい) (コ)た
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B.文章題⑱ 李陵」(中島敦)
「・・・翌朝李陵が目を(ア)醒まして外へ出て見ると、全軍はすでに昨夜の命令どおりの陣形をとり、静かに敵を待ち構えていた。全部が、兵車を並べた外側に出、(イ)戟と盾とを持った者が前列に、(1)キュウドを手にした者が後列にと配置されているのである。この谷を挾んだ二つの山はまだ(2)ギョウアンの中に(3)シンカンとはしているが、そこここの巌蔭に何かのひそんでいるらしい気配がなんとなく感じられる。
・・・その夜、李陵は小袖短衣の(4)ベンイを着け、誰もついて来るなと禁じて独り幕営の外に出た。月が山の峡から覗いて谷間に堆い(ウ)屍を照らした。浚稽山の陣を撤するときは夜が暗かったのに、またも月が明るくなりはじめたのである。月光と満地の霜とで片岡の斜面は水に濡れたように見えた。幕営の中に残った将士は、李陵の服装からして、彼が単身敵陣を窺ってあわよくば単于と刺違える所存に違いないことを察した。李陵はなかなか戻って来なかった。彼らは息をひそめてしばらく外の様子を窺った。遠く山上の敵塁から(5)コカの声が響く。かなり久しくたってから、音もなく(エ)帷をかかげて李陵が幕の内にはいって来た。だめだ。と一言吐き出すように言うと、(オ)踞牀に腰を下した。全軍斬死のほか、途はないようだなと、またしばらくしてから、誰に向かってともなく言った。
(注)コカ:古の中国北方の異民族が吹いた葦(あし)の葉の笛のこと。
・・・居延まではなお数日の行程ゆえ、成否のほどはおぼつかないが、ともかく今となっては、そのほかに残された途はないではないか。諸将僚もこれに(カ)頷いた。全軍の将卒に各二升の(キ)糒と一個の氷片とが(ク)頒かたれ、(6)シャニ無二、遮虜鄣(しゃりょしょう)に向かって走るべき旨がふくめられた。さて、一方、ことごとく漢陣の(7)セイキを倒しこれを斬って地中に埋めたのち、武器兵車等の敵に利用されうる(ケ)惧れのあるものも皆打ち毀した。夜半、鼓して兵を起こした。
・・・翌、天漢三年の春になって、李陵は戦死したのではない。捕えられて虜に降ったのだという確報が届いた。武帝ははじめて(8)カクドした。即位後四十余年。帝はすでに六十に近かったが、気象の烈しさは壮時に超えている。神仙の説を好み方士(コ)巫覡の類を信じた彼は、それまでに己れの絶対に尊信する方士どもに幾度か欺かれていた。漢の勢威の絶頂に当たって五十余年の間君臨したこの大皇帝は、その中年以後ずっと、霊魂の世界への不安な関心に執拗につきまとわれていた。それだけに、その方面での失望は彼にとって大きな打撃となった。こうした打撃は、生来(9)カッタツだった彼の心に、年とともに群臣への暗い(10)サイギを植えつけていった。・・・」
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(1)弓弩 (2)暁暗(出典は「暁暗」だが、「暁闇」のほうが適切か) (3)森閑(深閑) (4)便衣 (5)胡笳 (6)遮二 (7)旌旗 (8)嚇怒 (9)闊達(豁達) (10)猜疑
(ア)さ (イ)ほこ (ウ)しかばね(「かばね」でも可か) (エ)とばり (オ)きょしょう (カ)うなず (キ)ほしいい(「かれいい」でも可か) (ク)わ (ケ)おそ (コ)ふげき
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C.文章題⑲ 「李陵」(中島敦)
「・・・さて、武帝は諸重臣を召して李陵の処置について計った。李陵の身体は都にはないが、その罪の決定によって、彼の妻子(1)ケンゾク家財などの処分が行なわれるのである。酷吏として聞こえた一廷尉が常に帝の顔色を窺い合法的に法を(ア)枉げて帝の意を迎えることに巧みであった。ある人が法の権威を説いてこれを(イ)詰ったところ、これに答えていう。前主の是とするところこれが律となり、後主の是とするところこれが令となる。当時の君主の意のほかになんの法があろうぞと。群臣皆この廷尉の類であった。丞相・公孫賀が、御史大夫・杜周、太常、趙弟以下、誰一人として、帝の(2)シンドを犯してまで陵のために弁じようとする者はない。口を極めて彼らは李陵の売国的行為を罵る。陵のごとき変節漢と肩を比べて朝に仕えていたことを思うといまさらながら愧(はずか)しいと言い出した。平生の陵の行為の一つ一つがすべて疑わしかったことに意見が一致した。陵の従弟に当たる李敢が太子の(3)チョウを頼んで(4)キョウシであることまでが、陵への(5)ヒボウの種子になった。口を(6)カンして意見を洩さぬ者が、結局陵に対して最大の好意を有つものだったが、それも数えるほどしかいない。
ただ一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。今、口を極めて李陵を(ウ)讒誣しているのは、数か月前李陵が都を辞するときに(エ)盃をあげて、その行を(オ)壮んにした連中ではなかったか。漠北からの使者が来て李陵の軍の健在を伝えたとき、さすがは名将李広の孫と李陵の孤軍奮闘を(カ)讃えたのもまた同じ連中ではないのか。(7)テンとして既往を忘れたふりのできる(8)ケンカン連や、彼らの(9)テンユを見破るほどに聡明ではありながらなお真実に耳を傾けることを嫌う君主が、この男には不思議に思われた。いや、不思議ではない。人間がそういうものとは昔からいやになるほど知ってはいるのだが、それにしてもその不愉快さに変わりはないのである。下大夫の一人として朝につらなっていたために彼もまた下問を受けた。そのとき、この男はハッキリと李陵を褒め上げた。言う。陵の平生を見るに、親に(キ)事えて孝、士と交わって信、常に奮って身を顧みずもって国家の急に殉ずるは誠に国士のふうありというべく、今不幸にして事一度、破れたが、身を全うし妻子を保んずることをのみただ念願とする君側の(10)ネイジンばらが、この陵の一失を取り上げてこれを誇大歪曲しもって上(ショウ)の聡明を(ク)蔽おうとしているのは、遺憾この上もない。そもそも陵の今回の軍たる、五千にも満たぬ歩卒を率いて深く敵地に入り、匈奴数万の師を奔命に疲れしめ、転戦千里、矢尽き道窮まるに至るもなお全軍(ケ)空弩を張り、白刃を冒して死闘している。部下の心を得てこれに死力を尽くさしむること、古の名将といえどもこれには過ぎまい。軍敗れたりとはいえ、その善戦のあとはまさに天下に顕彰するに足る。思うに、彼が死せずして虜に降ったというのも、ひそかにかの地にあって何事か漢に報いんと期してのことではあるまいか。……
並いる群臣は驚いた。こんなことのいえる男が世にいようとは考えなかったからである。彼らはこめかみを(コ)顫わせた武帝の顔を恐る恐る見上げた。それから、自分らをあえて全躯保妻子(くをまっとうしさいしをたもつ)の臣と呼んだこの男を待つものが何であるかを考えて、ニヤリとするのである。・・・」
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(1)眷属(眷族) (2)震怒(「瞋怒」も「いかり、はらだち」で同義だが、ここは天子の怒りなので「震怒=激しく怒ること。天神または天子の怒りにいう。(広辞苑)」) (3)寵 (4)驕恣 (5)誹謗 (6)緘 (7)恬 (8)顕官 (9)諂諛 (10)佞人
(ア)ま (イ)なじ (ウ)ざんぶ (エ)さかずき (オ)さか (カ)たた (キ)つか (ク)おお (ケ)くうど (コ)ふる
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
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●「李陵」(中島敦)から、文章題⑰、⑱、⑲の3題です。
●各問題とも並みよりちょっと上の程度かも・・・80%(24点)はクリアしたいところ・・・・。
●文章題⑰~⑲:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
A.文章題⑰ 「李陵」(中島敦)
「・・・漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣(しゃりょしょう)を発して北へ向かった。阿爾泰(アルタイ)山脈の東南端が(ア)戈壁沙漠に没せんとする辺の磽确(こうかく)たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風は戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。(1)バクホク、浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。すでに敵匈奴の勢力圏に深く進み入っているのである。秋とはいっても北地のこととて、(イ)苜蓿も枯れ、(ウ)楡やかわやなぎの葉ももはや落ちつくしている。木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍を除いては)、容易に見つからないほどの、ただ砂と岩と(エ)磧と、水のない河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、まれに訪れるものとては曠野に水を求める (オ)羚羊ぐらいのものである。(2)トツコツと秋空を(カ)劃る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などに唆られるものはない。それほどに、彼らの位置は危険極まるものだったのである。
騎兵を主力とする匈奴に向かって、一隊の騎馬兵をも連れずに歩兵ばかり(馬に(3)マタがる者は、陵とその幕僚数人にすぎなかった)で奥地深く侵入することからして、無謀の極みというほかはない。その歩兵も僅か五千、絶えて後援はなく、しかもこの浚稽山は、最も近い漢塞の居延からでも優に一千五百里(支那里程)は離れている。統率者李陵への絶対的な信頼と心服とがなかったならとうてい続けられるような行軍ではなかった。
毎年秋風が立ちはじめると決まって漢の北辺には、胡馬に(キ)鞭った(4)ヒョウカンな侵略者の大部隊が現われる。辺吏が殺され、人民が(ク)掠められ、家畜が奪略される。
・・・(ケ)山峡の疎林の外れに兵車を並べて囲い、その中に(5)イバクを連ねた陣営である。夜になると、気温が急に下がった。士卒は乏しい木々を折取って(コ)焚いては暖をとった。十日もいるうちに月はなくなった。空気の乾いているせいか、ひどく星が美しい。黒々とした山影とすれすれに、夜ごと、(6)ロウセイが、青白い (7)コウボウを斜めに曳いて輝いていた。十数日事なく過ごしたのち、明日はいよいよここを立ち退いて、指定された進路を東南へ向かって取ろうと決したその晩である。一人の(8)ホショウが見るともなくこの(9)ランランたるロウセイを見上げていると、突然、その星のすぐ下の所にすこぶる大きい赤黄色い星が現われた。オヤと思っているうちに、その見なれぬ巨きな星が赤く太い尾を引いて動いた。と続いて、二つ三つ四つ五つ、同じような光がその周囲に現われて、動いた。思わずホショウが声を立てようとしたとき、それらの遠くの灯はフッと一時に消えた。まるで今見たことが夢だったかのように。
ホショウの報告に接した李陵は、全軍に命じて、明朝天明とともにただちに戦闘に入るべき準備を整えさせた。外に出て一応各部署を点検し終わると、ふたたび幕営に入り、雷のごとき(10)カンセイを立てて熟睡した。・・・」
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(1)漠北 (2)突兀 (3)跨(胯) (4)剽悍 (5)帷幕 (6)狼星(*シリウスのことらしい) (7)光芒 (8)歩哨 (9)爛々(爛爛) (10)鼾声
(ア)ごび(ゴビ) (イ)うまごやし (ウ)にれ (エ)かわら (オ)かもしか (カ)くぎ (キ)むちう (ク)かす (ケ)さんきょう(やまかい) (コ)た
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B.文章題⑱ 李陵」(中島敦)
「・・・翌朝李陵が目を(ア)醒まして外へ出て見ると、全軍はすでに昨夜の命令どおりの陣形をとり、静かに敵を待ち構えていた。全部が、兵車を並べた外側に出、(イ)戟と盾とを持った者が前列に、(1)キュウドを手にした者が後列にと配置されているのである。この谷を挾んだ二つの山はまだ(2)ギョウアンの中に(3)シンカンとはしているが、そこここの巌蔭に何かのひそんでいるらしい気配がなんとなく感じられる。
・・・その夜、李陵は小袖短衣の(4)ベンイを着け、誰もついて来るなと禁じて独り幕営の外に出た。月が山の峡から覗いて谷間に堆い(ウ)屍を照らした。浚稽山の陣を撤するときは夜が暗かったのに、またも月が明るくなりはじめたのである。月光と満地の霜とで片岡の斜面は水に濡れたように見えた。幕営の中に残った将士は、李陵の服装からして、彼が単身敵陣を窺ってあわよくば単于と刺違える所存に違いないことを察した。李陵はなかなか戻って来なかった。彼らは息をひそめてしばらく外の様子を窺った。遠く山上の敵塁から(5)コカの声が響く。かなり久しくたってから、音もなく(エ)帷をかかげて李陵が幕の内にはいって来た。だめだ。と一言吐き出すように言うと、(オ)踞牀に腰を下した。全軍斬死のほか、途はないようだなと、またしばらくしてから、誰に向かってともなく言った。
(注)コカ:古の中国北方の異民族が吹いた葦(あし)の葉の笛のこと。
・・・居延まではなお数日の行程ゆえ、成否のほどはおぼつかないが、ともかく今となっては、そのほかに残された途はないではないか。諸将僚もこれに(カ)頷いた。全軍の将卒に各二升の(キ)糒と一個の氷片とが(ク)頒かたれ、(6)シャニ無二、遮虜鄣(しゃりょしょう)に向かって走るべき旨がふくめられた。さて、一方、ことごとく漢陣の(7)セイキを倒しこれを斬って地中に埋めたのち、武器兵車等の敵に利用されうる(ケ)惧れのあるものも皆打ち毀した。夜半、鼓して兵を起こした。
・・・翌、天漢三年の春になって、李陵は戦死したのではない。捕えられて虜に降ったのだという確報が届いた。武帝ははじめて(8)カクドした。即位後四十余年。帝はすでに六十に近かったが、気象の烈しさは壮時に超えている。神仙の説を好み方士(コ)巫覡の類を信じた彼は、それまでに己れの絶対に尊信する方士どもに幾度か欺かれていた。漢の勢威の絶頂に当たって五十余年の間君臨したこの大皇帝は、その中年以後ずっと、霊魂の世界への不安な関心に執拗につきまとわれていた。それだけに、その方面での失望は彼にとって大きな打撃となった。こうした打撃は、生来(9)カッタツだった彼の心に、年とともに群臣への暗い(10)サイギを植えつけていった。・・・」
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(1)弓弩 (2)暁暗(出典は「暁暗」だが、「暁闇」のほうが適切か) (3)森閑(深閑) (4)便衣 (5)胡笳 (6)遮二 (7)旌旗 (8)嚇怒 (9)闊達(豁達) (10)猜疑
(ア)さ (イ)ほこ (ウ)しかばね(「かばね」でも可か) (エ)とばり (オ)きょしょう (カ)うなず (キ)ほしいい(「かれいい」でも可か) (ク)わ (ケ)おそ (コ)ふげき
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C.文章題⑲ 「李陵」(中島敦)
「・・・さて、武帝は諸重臣を召して李陵の処置について計った。李陵の身体は都にはないが、その罪の決定によって、彼の妻子(1)ケンゾク家財などの処分が行なわれるのである。酷吏として聞こえた一廷尉が常に帝の顔色を窺い合法的に法を(ア)枉げて帝の意を迎えることに巧みであった。ある人が法の権威を説いてこれを(イ)詰ったところ、これに答えていう。前主の是とするところこれが律となり、後主の是とするところこれが令となる。当時の君主の意のほかになんの法があろうぞと。群臣皆この廷尉の類であった。丞相・公孫賀が、御史大夫・杜周、太常、趙弟以下、誰一人として、帝の(2)シンドを犯してまで陵のために弁じようとする者はない。口を極めて彼らは李陵の売国的行為を罵る。陵のごとき変節漢と肩を比べて朝に仕えていたことを思うといまさらながら愧(はずか)しいと言い出した。平生の陵の行為の一つ一つがすべて疑わしかったことに意見が一致した。陵の従弟に当たる李敢が太子の(3)チョウを頼んで(4)キョウシであることまでが、陵への(5)ヒボウの種子になった。口を(6)カンして意見を洩さぬ者が、結局陵に対して最大の好意を有つものだったが、それも数えるほどしかいない。
ただ一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。今、口を極めて李陵を(ウ)讒誣しているのは、数か月前李陵が都を辞するときに(エ)盃をあげて、その行を(オ)壮んにした連中ではなかったか。漠北からの使者が来て李陵の軍の健在を伝えたとき、さすがは名将李広の孫と李陵の孤軍奮闘を(カ)讃えたのもまた同じ連中ではないのか。(7)テンとして既往を忘れたふりのできる(8)ケンカン連や、彼らの(9)テンユを見破るほどに聡明ではありながらなお真実に耳を傾けることを嫌う君主が、この男には不思議に思われた。いや、不思議ではない。人間がそういうものとは昔からいやになるほど知ってはいるのだが、それにしてもその不愉快さに変わりはないのである。下大夫の一人として朝につらなっていたために彼もまた下問を受けた。そのとき、この男はハッキリと李陵を褒め上げた。言う。陵の平生を見るに、親に(キ)事えて孝、士と交わって信、常に奮って身を顧みずもって国家の急に殉ずるは誠に国士のふうありというべく、今不幸にして事一度、破れたが、身を全うし妻子を保んずることをのみただ念願とする君側の(10)ネイジンばらが、この陵の一失を取り上げてこれを誇大歪曲しもって上(ショウ)の聡明を(ク)蔽おうとしているのは、遺憾この上もない。そもそも陵の今回の軍たる、五千にも満たぬ歩卒を率いて深く敵地に入り、匈奴数万の師を奔命に疲れしめ、転戦千里、矢尽き道窮まるに至るもなお全軍(ケ)空弩を張り、白刃を冒して死闘している。部下の心を得てこれに死力を尽くさしむること、古の名将といえどもこれには過ぎまい。軍敗れたりとはいえ、その善戦のあとはまさに天下に顕彰するに足る。思うに、彼が死せずして虜に降ったというのも、ひそかにかの地にあって何事か漢に報いんと期してのことではあるまいか。……
並いる群臣は驚いた。こんなことのいえる男が世にいようとは考えなかったからである。彼らはこめかみを(コ)顫わせた武帝の顔を恐る恐る見上げた。それから、自分らをあえて全躯保妻子(くをまっとうしさいしをたもつ)の臣と呼んだこの男を待つものが何であるかを考えて、ニヤリとするのである。・・・」
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(1)眷属(眷族) (2)震怒(「瞋怒」も「いかり、はらだち」で同義だが、ここは天子の怒りなので「震怒=激しく怒ること。天神または天子の怒りにいう。(広辞苑)」) (3)寵 (4)驕恣 (5)誹謗 (6)緘 (7)恬 (8)顕官 (9)諂諛 (10)佞人
(ア)ま (イ)なじ (ウ)ざんぶ (エ)さかずき (オ)さか (カ)たた (キ)つか (ク)おお (ケ)くうど (コ)ふる
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かなりハイペースでの文章題ありがとうございます!
頑張ってついていきますよ~
その先にあるのは次回の185点以上ですからね。
過去の記事も再度隅々まで再見させていただきます。
そうすれば190点も夢じゃないか~?(笑)
文章題17-26点 バクホク ロウセイを間違い
文章題18-25点 コカ シャニ ほこ(げきと読みました)間違い
文章題19-28点 解説にあるとおりの「シンイ」を書きました
一応全問クリアです。
ありがとうございます。
・・・好き放題に鳴くズズムシより・・・・