フランス最初のカフェとレストラン-フランスの大国化と食の革命(8)
私たちは街中でのどが乾いたら喫茶店に入ってコーヒーや紅茶などを飲み、お腹がすいたらレストランに入って食事をします。諸外国でも同じように、街中にはたくさんの飲食店があり、多くの人が利用しています。
テレビで国内や国外の食べ歩きの様子がよく放映されるのも、どこに行ってもたくさんの飲食店が営業しているからです(ちなみに私は、ヒロシの「迷宮グルメ 異郷の駅前食堂」が好きです)。
このような飲食店の始まりにも歴史があります。今回は、近世フランスにおけるカフェとレストランの始まりについて見て行きます。
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世界最初のコーヒーハウス(カフェ)は、1554年にオスマン帝国のイスタンブールに誕生した。また、ヨーロッパでは1645年のヴェネツィアでの開店を皮切りに、各地でコーヒーハウスが誕生するようになった。例えば、1650年にはロンドンで、1666年にはアムステルダムで最初のコーヒーハウスが開店している。
フランスに本格的なカフェが誕生したのは1686年のことで、シチリア人のフランチェスコ・プロコピオがパリにカフェ・プロコップ(ル・プロコップ)という店を出したのが最初だ。この店ではコーヒーのほかに、果物やお菓子、ジャム、そしてソルベ(シャーベット)が出されていたという。なお、ソルベは、果物の入った砂糖水やリキュールを容器に入れ、塩を加えた氷で容器の周りを囲んで凍らせて作ったらしい。この店では後の時代になると、紅茶やチョコレート飲料なども出されるようになった。
プロコップの目の前には王立劇団のコメディ・フランセーズが本拠とした劇場があり、劇場関係者や観劇に訪れた人々でもにぎわっていた。なお、「コメディ」とは喜劇のことではなく、広く「劇」と言う意味だった。
また、プロコップでは客を呼ぶために社会の出来事がニュースとして張り出されるようになったのだが、目論見通りそれが評判を呼び、その情報を元に多くの人が議論するようになった。そして、ヴォルテールやディドロ、ルソーなどの啓蒙思想家が集まる政治的サロンの様相を呈するようになる。
プロコップが成功するとパリでは次々とカフェが誕生し、1721年には300軒以上の店が営業していたという。これらの店も情報交換や議論の場となり、これが民衆の政治意識を高めることでフランス革命を生み出す下地となって行く。
そして18世紀末になると、カフェには革命家が集結するようになり、毎日のように革命のための会合が開かれたと言われている。中でもカフェ・ド・フォアは、バスティーユ襲撃のきっかけを作ったカミーユ・デムーランが「外に出て革命を!」と民衆を鼓舞した場として有名だ。
こうしてフランス革命が勃発し、ルイ16世は処刑されるのである。なお、フランス革命後は政治集会の場はカフェから酒場に移って行った。
次はレストランの話だ。
フランスでは中世からオーベルジュと呼ばれる宿屋兼料理屋や、タヴェルヌという居酒屋があったが、いずれも大した料理は出なかった。そのような中、1765年にブーランジェという男が、パリに肉と野菜を煮込んで作ったブイヨンを出す店を出した。このブイヨンを「元気になる食べ物」という意味で「レストラン(restaurant)」という名前で売り出したのだ(フランス語の「レストレrestaurer」には「修復する」と言う意味がある)。この店ではそれ以外に、ビスケットや季節のフルーツ、クリームチーズなどが出されていた。
ところで、この頃のフランスには販売品目ごとにギルド(同業組合)があり、組合に入っていない者は商品が売れないという強い規制があった。食べ物に関して言うと、豚などの肉をソーセージやハムなどの加工品にして売るギルドや、肉の煮込み料理を売るギルド、ローストした肉を売るギルドなど、細かく分かれていた。このため、店で料理を自由に出すことはできなかったのだ。
ところが、1776年にルイ16世の財務卿だったテュルゴーが、パリの商売を盛んにするためにギルドを廃止したことから、いろいろな料理を出す店が登場することになった。そして、その名前にブーランジェのレストランを使うようになったのだ。こうして「レストラン」が料理店の名前として定着して行った。
現在のレストランのように本格的な料理を出す店を最初にパリに開店したのが、プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)に料理長として仕えたアントワーヌ・ボヴィリエ(1754~1817年)だ。彼は1782年にグランド・タヴェルヌ・ド・ロンドゥルという店を開いた。ただし、彼の料理は富裕層をターゲットにしたもので、庶民にはとても手が届かなったそうだ。なお、この店はフランス革命時に他の料理人に奪われてしまうが、1799年に別の場所にボヴィリエという店を出したところ大成功をおさめたという。彼は来た客の好みを細かく記録して、次に店に訪れた時に最高のおもてなしをしたと伝えられている。
ボヴィリエが1782年にレストランを出店すると、ボヴィリエのように貴族の料理人として働いていた人たちの中でレストランを出す人がぽつぽつと現れるようになった。そして1789年のバスティーユ襲撃によってフランス革命が始まると、多くの貴族が国外に逃亡を始めた。その結果、貴族に仕えていた料理人は、逃げる貴族に同行するか、貴族の下を離れて自分の店を開くかの選択を迫られることになる。しかし、ちょうどその頃には、ボヴィリエのようにレストラン経営を軌道に乗せていた人たちも少なからずいたことから、多くの料理人がレストランを出店するようになった。
こうして、貴族の間で食べられていた本格的な料理が多くのレストランで出されるようになり、フランスの一般市民の間にも広がって行くことになるのである。