おだやかな日々が続きますように。

脳腫瘍で結婚して3年間たたかった新婚カップルの日々

話し合い 応援団

2007年09月15日 | Weblog
 昨日、投稿したものが消えている。ねぼけまなこで投稿していたので、消してしまったようです。余命宣告とは別に、妻とは、おだやかな日々を過ごしています。
 何故だか、妻は、アパ-トで暮らすようになったし、私の仕事も今は、まだ、助走段階で、仕事は、遅くない。
 14日は、主治医と生活のことで話し合おうと思っていたのが、そうする必要がなくなって、この前の診察でいろいろ話せたので。それで、義母と義姉と私と3人で妻とどう対応していくのかを話し合うこととなった。妻と義母は、親子ということもあって、(義母は、私から見て、義母、妻から言えば実母)どうしても、親が子供をヒステリックにしかることになっていることもあったので・・・。
 しばらく、入院してはという話もあった。妻は、記憶障害ある一方で、しっかりしているときは、しっかりしていて、「おかあさんは、疲れているんだよ」「入院て言われるけど、私は家にいたい」とはっきり言ったことがあって・・・入院は、見送りとなった。
 これには、2人の援軍があった。一人は、お袋、一人は、同級生の看護師。
 私のおふくろは、毎日、半日、妻の世話をしてくれている。朝、アパ-トにやってくる。「妻のことは、まかせて、さっさと仕事ににいけ」というのが彼女の口癖だ。「そんなもん、ここまできたら、医者が入院と言うまで、家でみんとどうするが。」と彼女は、いいきった。お袋は、昭和19年生まれ、時たま現役となる保育士で、中学生で母を病気でなくし、飲んだくれの父親と二人の弟と暮らしてきたなかなかのつわものである。
 もう一人は、同級生でキュ-ピット役となってくれた高校の同級生。因果なもので彼女は、看護師だった。しかも大学病院の。だんなさんは、大学病院の医者。今は、潜在看護師で主婦をしている。最初の入院のときは、本当に助けてもらった。その彼女が妻が今の元気を保つのは、家にいるから。大学病院と話して、点滴必要ならいくらでもやってあげると言ってくれた。
 何より、妻は、今でも私の主婦をしているつもりなのです。「朝御飯どうしよう」「洗い物は洗うよ」というのが口癖で、何か手伝いしたいんです。買い物に行っても「たけさんが好きだから」といって、あれほしい、これほしいというそうです。それが今の妻を支えるギリギリの生命力なのです。入院すれば、そんなことはできなくなる。夜には、トイレやいろんなことで妻が私を呼ぶ。妻は、「ごめんね」という。時には失禁もあれば、頭が痛い、気持ち悪いという訴えもある。正直・・再発??と思ったりする。でも、私は、必ず冗談ぽく「大丈夫だあ」と「大好きです。たけちゃんは、ともちゃんと一緒です」と言うことにしている。のろけになったので、オヤスミします。
 















コメント (7)
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