退職後8ヶ月経った。
コロナ禍と重なって相変わらずの家籠り。
朝起きてざっと家事(洗濯、掃除)をして、昼間はリモート夫のお茶入れと昼食作り。
(良いお天気の日は庭に出て僅かばかりの草木などをいじってみる。)
夕方に洗濯を取り込んだ後、買い物がてら散歩に行く。
夕餉の支度ははママがしてくれるので、家族みんなの食事が終わったら後片付けをする。
(今は夫も息子もリモート仕事なのでほとんど6人揃っての食事になるので片付けも割と時間がかる。)
一日の合間にみんなのブログを読ませてもらって、自分も書いたりする。
そして寝しなに本を読む。この頃日課になった。
天候の悪い日とか、まとまった時間ができたとき、写真整理や始めたばかりの俳句の勉強などをする。
そんな日々が定着してきた。仕事に出ていた頃から比べると平穏な日々。
いつかコロナが収束して、実家の墓参りや、映画や旅行などに行けるようになったら、このままでもいいかなって思う。
この間、お義母さんの持っていた、スキャンの終えた写真(一緒に手紙やはがきの類も)をシュレッダーにかけた。
でもその切る作業も(データーで残しているから、いつでも見られるし、プリントもできると思っても)何だか切なかった。
そしてフロッピーを挿入できるPCが無くなったように、メモリーに残しているデータも、いつまで使用できるのかもわからないし、
この後の写真整理をどうしようかと迷うことにもなった。
妹は燃やしたようで、燃やすのは辛いから、止めた方がいいって言っていたけれど、
シュレッダーにかけても結局はゴミに出し、燃えてしまうので同じなんだけれど・・・。
かと言ってそのまま普通ゴミに出すのもできなくて・・・。
燃やすとか切るとかすることで確実に在った過去を消すようで・・・多分作業そのものが辛いのだと思う。
72年前のお義父さんとお義母さんの結構式の写真もあったけれど、それは夫と弟妹の、
ひいては息子達や孫達のルーツのような気がしたので取っておくことにした。
後で、新しいアルバムに貼ろうと思う。
こんな風に「もう居ないんだなぁ…」と思いながら同じ時を一緒に過ごした人達の写真を見ていると、
長いと感じていた人生も、案外短いものなのだなって思ってしまう。
アニメ夏目友人帳のニャンコ先生(実は妖怪)の「人はあっという間・・・」(妖怪からみたら人の生はあっという間だ)という
言葉が思い浮かぶ。(何でもアニメからの私。)
やっぱり古い写真の整理って、懐かしいを越してしまい、悲しく切ないという感情が湧いてしまうようだ。
自粛(籠り)生活が長くなって、少しナーバスになっているせいかもしれないので、
写真整理は少し先に延ばした方がよいのかな…とも思った。
ナラの写真も整理している。
うちに来たばかりのナラ(お昼寝写真…縫いぐるみのようだ)
成犬になったナラ(人間なら20歳くらいの娘…輝いていた)
15年余りで、私の元を通り過ぎて往ってしまったナラ。
犬は、もっとあっという間に・・・だ。
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