眼鏡を失くしました。
私は二つの眼鏡を持っていました。
ひとつは遠近両用(主に生活用)もう一つは近々両用(主にパソコン用)。
話は遡って、
日曜日(1月30日)夕餉の買い出しにといつもの通りバッグに財布、スマホ、眼鏡を入れて・・・としたところ、
ムムッ眼鏡が無いとなりました。
でも朝から家を出ていないので、絶対に家の中にあるはずと思い当たる所はすべて探す…けれどみつからない。
とりあえず買い出しをしないと夕飯が遅くなるのでパソコン用の眼鏡を持って出かけました。
翌朝、もう諦めかけましたが、「そうだ、の腕時計が無くなった時、意外なところから出てきた。」と思いだし、
全く入れた記憶がないのに【洗濯のピンチ入れ!】を見たところ、ありました。ありました。
これで一件落着と思えたのですが後日・・・
月が替わった水曜日(2月2日)
その日はママの仕事の帰りが遅く暗くなってからバタバタと買い物に出かけたけれど(孫達が居るのでママの帰った後に行こうと思っていたので)、
途中でスマホを出そうとして、眼鏡が無いことに気づきました。
忘れたと…その時は思い、何とか眼鏡なしで買い物をし家に帰って探し回ったけれど、無い。
今度はケースから無い。念のためピンチ籠も見たけれど無い。
最初に無くなった時は「似たもの夫婦ですね。」と言っていたも今度は「知るか!」と…ずいぶんの変りようです。
「私は仕事も辞め、コロナ禍で家に引きこもっているうちにとうとうボケてきたのか?」
と…その日は仕方なく悶悶とやり過ごすしかありませんでした。
翌朝、昨日(2月3日)
ケースごと無いということは、やはり道で落としたのだと思い歩いた道を丁寧に見て回りました・・・が見つかりませんでした。
とりあえずはパソコン用で何とかなるけれど、それは近々両用なので視界が狭く、とても疲れます。
そこで意を決して、眼鏡を新調することにしました。
本当はだいぶ見づらくなってきていて、今回のコロナ・オミクロン株の波が下がって来たら眼鏡屋さんへ行こうと考えていました。
(それが少し早まったということ、そして不要不急でなく急を要すること)と思うことにしました。
近くの眼鏡屋さんでもいいかとチラっと思ったけれど失くした眼鏡のデータが残っている所がやはりいいのではと思い、
電車とバスを乗り継いでデパートの眼鏡屋さんへ行き、いろいろと測って貰い注文してきました。
やはり老眼度数が2段階くらい進んでいたようでした。
出来上がりは10日後だそうで、また行くことになりましたが、それもいいかなとふと思いました。
出かけるって、普段と違うことをするということに気づきました。
軽く化粧をした。服を選んだ。指輪とブレスレッドを付けた。ブーツを履いた。
バス、電車に乗る。歩く。
でもそれは、通勤している時は毎日のようにしていたことで、楽になったと言えば楽になったのですが、
退職して1年半経ち、化粧も服も靴もどうでもいい、まして装飾品などはお蔵入りでした。
バス、電車に乗る回数は減り、歩く距離も減っています。
物忘れをするということについてにこんな記事がありました。
※【CanCam.jp(キャンキャンライフスタイル)】より要約。
①疲れている。疲れていると注意力が散漫になる。
確かに!でも今は疲れているほどいろんなことをしていない私です。加齢で注意力が散漫?
②スピリチュアルな考え方もある。
なくし物が不幸を身代わりにしてくれる。厄を落とすということで、心機一転の前兆とも考えられている。
そんな大袈裟ではないけれど、長い目でみれば、出かけることも健康のために(精神面も含めて)必要だということを教えてくれたような気がします。
この事件(?)無ければ出かけることは有りませんでした。
③パートナーとの関係が試されている。
との微妙な関係?
これはまあお互い様ってところでしょうか?
自分だってこの間、車をガードレールにぶっつけて、修理代27万もかかってしまったし(保険で5万になったけれど、そのかわり月々の保険代が上がるらしい)
それから比べれば私の眼鏡代なんて…と…同じくらいかかるので言えないけれど…。
2人とも加齢のせいだとしたら(そんな歳になっているのだと)心しておく必要があるのではないかと👓を失くしていろいろと思う私でした。
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