69年前の夏の記憶 ⑩
中学校の講堂が軍需工場に
ある日突然に、中学校の講堂の床板がはがされ、工員とともに多くの工作機器が搬入されました。
飛行機の部品を作るためのものだとか。軍需産業の秘かな疎開だったようですが、学校側からは、なんの説明もなされませんでした。秘密だったのです。防諜のポスターを描くように云われたのもこの頃からで、疑心暗鬼「隣にスパイ」などの標語の募集なども行われました。
国事警察として高等警察から分離し、国体護持のための査察、内偵などで取り締まる、特別高等警察、いわゆる“特高”の活動が活発化し、1941年、治安維持法制定をバックに、いやな時代を秘かに感じていました。
最近施行された、武器・弾薬・防衛などに関連した、罰則を伴う特別秘密保護法案、先祖がえりか、あの時代に逆戻りしている危惧を痛切に感じています。
上級生は軍需工場に、下級生の私たちは、出征兵士の農家の作業のため、分宿しての援農で、教室での授業は、だんだんなくなりました。
米農家であっても、米の強制供出により、わずかな米に芋などで嵩を増やしての食事でした。
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