和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

九州の旅27 夜明駅

2015-06-14 02:27:05 | 風景写真
東吉野のコアジサイの開花が早いです。
例年より1週間ほど早いようです。
emirinさんのブログでは12日で満開らしいです。


九州の旅27 夜明駅

このシリーズもあと3回になりました。
配分を考えないとオーバーしてしまいます。
駅シリーズの最後です。
今回の旅で秘かに行ってみたい駅がありました。

大分県日田市にある夜明駅です。
天領の日田、訪ねてみたい気がしましたが、
今回はいいのです。
目的はこの駅のみ。
久大本線と日田彦山線が合流する駅です。
たまたま時刻表でこの駅の名を見つけた時から行ってみたいと思うようになりました。
この駅は石炭産業の栄枯盛衰を見て来たことでしょう。



ディーゼル車がやって来ました。



久留米行きです。

粋なキャッチフレーズを作っています。


夜明けの鐘もあります。


映画のロケにでも使えそう。


和尚の人生は夜中を走っているようなものです。
どんなに辛い長い夜も必ず明ける。
なんとなく希望に満ちた駅のような感じがしました。
しかし
和尚の人生はなんの改善も見せぬまま終えることになるでしょう。
いまさらジタバタしてもどうにもならない歳だもんね。
家庭生活の失敗、子育ての失敗、人生設計の失敗・・・

昨日が孫の8歳の誕生日でした。

孫の母親(和尚の長女です)がその年の頃、
ピアノを習い、絵画をならい、剣道にも通うなど
普通のサラリーマンの家庭のようでした。
ところが
突然、ピアノの先生が「オウム真理教に出家するから教えられない」と言って来ました。
その頃はオウムは問題を起こす前でしたが、
私は胡散臭いものを感じていました。
他人の行く道、とやかく言えない、そんな感じでした。
今から思えば
歯車が狂い始めたのが、ここからだったような気がします。
団塊の世代は生き方に悩み多き世代でもあります。
その後、ヤマギシズムとの(いいのか悪いのか)出会いがあり、歯車が狂って行くことになります。
ここからのことは書く機会があればいいのですが、
今も生きている人、また名誉にも毀損することが多々ありますので、
ここでは書けませんワ。
(書こうとしましたが事実を隠そうとすると文章にはなりませんでした)

なんやかんやで色々なことがあった失敗の人生。

傷だらけの人生はカッコウいいが、失敗だらけの人生はカッコウ悪いね。

太陽を手招く夜明・・・来てみたかった駅です。

ここから耶馬渓に行くことにしました。

九州の旅26 菊池渓谷

2015-06-13 01:40:38 | 風景写真
昨日です。
雨の中、宇陀のコアジサイを撮りに行きましたが、
霧も出なくて花も終りを告げていました。
霧でも出れば撮ってみるのですが、
結局撮らず終いでした。
来年までお預けです。
雨が止んで近くをロケハンです。

残っていたコアジサイ




東吉野投石の滝


上芳野




九州の旅26 菊池渓谷

ゆっくりした熊本の2日間でしたが、
今日は菊池渓谷に向かって、行くだけです。
菊池までせいぜい1時間余り、そこから菊池渓谷まで30分あまりです。
天気がよかったのですが黄砂が降り、黄色く霞んでいます。

誰に、どこでか忘れましたが、
「黄砂がキツいですね」と言ったら、
「いや、これは黄砂ではなくて阿蘇の噴煙ですよ」と言われた。

菊池渓谷に着いたのは9時半頃でした。
予備知識が全くないので案内板を見て行くしかないのです。
天気がいいので、渓谷はコントラストが強くて写真になりませんでした。
歩きながら明日朝一番に来てみようと、撮影ポイントを頭に入れた。
おそらく暗い内から懐中電灯を手に歩くと思いますから、
どこに三脚を立てたらいいのか、石の配置などを頭に入れて予行演習です。
ポイントは3ヶ所決めて、明日に備えました。

明日朝まで時間が余っています。
適当に農免道路を走って、行ったり来たり。
鞠智城跡の看板を見つけて、記憶をたどりました。
記憶というのは歴史のことではありません。
昔見た観光パンフです。
菊池が鞠智になっていたのが記憶にありました。



鞠智城跡は古代の城跡です。
白村江の戦いで敗れた斉明・天智朝が
北九州の防人の後方支援のために
鞠智城を作ったと考えられています。
その遺構から三重塔みたいな櫓が復元された。

形のいい茶畑がありました。


時間があるので再び菊池渓谷に戻って、
今度は阿蘇の外輪山に行くことにしました。
阿蘇に抜ける道は菊池阿蘇有料道路(スカイライン)で、
今は無料になっています。
阿蘇山への展望が良い所なんですが、
火山噴煙の影響でボヤけたままです。


久住連山は


ガソリンも少なくなってきたので、
10km下の内牧温泉で燃料補給。
再び外輪山に上がるべく途中に
展望の良い休憩所がありました。
丁度、晩飯時であったので食事をしたのですが
何を食べたか思い出せません。
記録帳にも書いてませんでした。
暗くなって、外輪山から阿蘇山を見ました。


さて今日のねぐらはどこかな。
朝早いので菊池渓谷内がいいと思い
駐車場の休憩所がいい感じで待っていてくれました。

菊池渓谷は流れ、岩の状態、水量、溪を覆う木々など
写真の素材としては最高なものがあります。
例えば雨後の霧風景、斜光風景、紅葉など条件が整えば
傑作が撮れそうな感じです。

平凡な朝でしたが太陽が照る前なので“しっとり”感が撮れています。





















薄暗い中で撮ったこれがイチオシです。


機会があればもう一度行ってみたい所です。


九州の旅25 熊本城

2015-06-12 02:05:54 | 風景写真
10日の古宮土壇


10日のコアジサイ






10日の稲渕のホタル

今年はホタルの数が多いようです。


九州の旅25 熊本城

熊本は5回目になりますが
熊本城には行ったように思っていましたが、
入ってみると初めてだったことが分かりました。
入った記憶というのは
周辺の散歩道を何回も歩いたための記憶違いでした。

いつも最初に行く場所は
加藤清政公の銅像のところです。


けっこう(たくさん)お城巡りをしていますが、
熊本城は好きな城の一つです。
他には姫路城と松本城です。

宇土櫓と天守


天守






長塀












宇土櫓 重要文化財


熊本城に大スケールを感じる場所






宇土櫓 重要文化財


別名銀杏城の謂れの銀杏


加藤神社より


宇土櫓 重要文化財


本丸御殿大広間 撮影可です




天井絵 撮影可です 


二の丸広場より


本妙寺


本妙寺から


鶴崎八幡宮


商店街

地方の商店街にしては人出がありました。
商店街の中心には地元老舗デパートがあります。
熊本市は鶴屋
鹿児島市は山形屋
宮崎市は山形屋
大分市はトキハ
北九州市は井筒屋
長崎市浜屋
佐賀市は見当たりません。

九州の旅24 天草灘から熊本へ

2015-06-11 02:11:06 | 風景写真
昨日は朝2時半に起きて 宇陀市の山中に行った。
霧が流れる森林を撮るためです。
昨日の増水がウソのように戻っていました。
8時までいましたが、霧は流れませんでした。
反対斜面に流れている気配があるのですが、
ここまで回って来ません。










恐竜の卵を見つけた!

暖めてみましたが孵りませんでした。
世紀の大発見になるかもしれないからこの画像は保存しておこう。



九州の旅24 天草灘から熊本へ

荒尾岳展望所から西平椿公園に行って展望を楽しんだ後は
国道389号に出てサンセットラインと言うそうですが、
本渡に向けて天草下島を半周します。

西平椿公園から


途中、富岡城跡に寄ります。



こんな景色が好きです。

富岡城跡は典型的な陸繋島(りくけいとう)です。



トンボロとも言いますが、海流によって砂が堆積して
陸と島が結ばれたのです。結ばれた砂州は陸繋砂州と言います。
ほかには函館山と函館市、串本と潮岬などがいい例です。

山の上から見ると富岡湾に砂州が見られました。


地理学が好きだったので、このような地形を見ると
嬉しくなってしまいます。

途中、鬼池港に出ますが、ここには以前来たことがあります。
島原の口之津からフェリーに乗って本渡に来ました。
ほとんど憶えていませんね。
本渡で下島から上島に移ります。
国道が324号ロザリオラインになっていました。(富岡から)
天草五橋を越えて宇土半島に入ります。
宇土半島まで来ると島原の普賢岳が近く見えます。
火砕流の跡も読み取れます。




島原湾も熊本寄りは遠浅です。








こんな車が走っていました。


熊本はもうすぐです。

熊本駅でビジネスホテルの案内をもらい、
東横インで2泊することにしました。
熊本はあまり行く所がありません。(熊本は4回目です)
熊本城をじっくり見ることと鶴崎八幡宮と本妙寺ですね。
水前寺も田原坂も江津湖も行ったことがあるので、
馬刺をたらふく食べて、お腹をこわしてもいいように、
ここでゆっくりすることにしました。

九州の旅23 崎津教会

2015-06-10 02:27:17 | 風景写真
昨日です。
雨の中を宇陀の山中を走りましたが、
谷の水量も急に増え続け、渡れなくなりました。
山アジサイも咲き始めました。






一本のコアジサイを見つけて








九州の旅23 崎津教会

今度の旅で崎津教会にだけは行きたかった。
20歳過ぎから地図を作る仕事をして来ましたが、
天草の崎津教会のパンフの写真を見て行ってみたいとずっと思っていました。
40年来の念願がかなったのです。
余談ですが行ってみたいとずっと思っている所がもう一ヶ所あります。
それは信州別所温泉安楽寺の三重塔です。

崎津の崎はサキの字が正しいらしい。
あらゆる角度から見ました。
山頂展望所にも行きました。
漁村風景に溶け込んでいる教会はイメージ通りでした。
教会の中は撮影禁止です。

崎津教会




















マリア像


大江教会




今晩の宿泊は決めていません。
大江教会に寄って、荒尾岳展望所に夕日を撮りに登りましたが、
屋根のある展望所なのでそのまま寝ることにしました。


これも野宿なんでしょうね。
目を開けると東シナ海が広がります。
夜中、目が覚めると満天の星です。
西を向いているのでサソリ座がくっきりです。


こちらは北斗七星です。


印象に残った一日でした。

旅の時間もかなり使ったようです。
長崎、佐賀、福岡と残っています。
長崎の平戸も目的の一つでしたが、
崎津教会が良かったので、
平戸はどうでもいいようになって来ました。

この旅の連載もここでヤメていいくらいです。

予定のコースは時間的に行くのは無理なようです。
ここから熊本に行って菊池渓谷から耶馬渓を巡り、
大分に出て、あとは適当に行くことにしました。




九州の旅22 薩摩から天草へ 

2015-06-09 01:54:44 | 風景写真
九州の旅22 薩摩から天草へ 

4日間いた知覧から離れる日です。
天気予報は下り坂。
出発時はまだ雨は降っていません。
だいたい雨の日は距離を稼ぐことにしています。
北に向かって南さつま市へ。
南さつま市と言ってもピンときません。
加世田といった方がよく分かります。
ここまで来ると雨が降ってきました。
小雨なので運転しにくいことはありません。
加世田は万世飛行場があった所で特攻の基地でもありました。
知覧があまりにも知られているので、ここまで訪れる人が少ないようです。
朝早かったので入ることは出来ませんでしたが、
場所だけは確認しました。(万世特攻平和祈念館)




実は加世田は前日に来ています。
鑑真の記念館から笠沙の野間半島にかけて走っているのです。
知覧に帰る途中、加世田の市内を通っています。
バイクのオイル交換をしなければならず、
町中に来たから
ホンダのディーラーに寄ったのです。
でもバイクの扱いはしておらず、
竹田神社の前のバイク屋さんを紹介してもらって交換しました。
オイル交換中、店の前に竹田神社があるので、大きな神社だな(全く知らない)と思っただけで
そのままで帰りました。
あとで知ったことですが竹田神社が観光スポットになっており残念なことをしました。

ここで、前日のお話をもう少し。
鑑真記念館までは書きましたが、
そこから野間半島については書いていません。
坊津と同じような景色が続きます。


途中、杜氏の里笠沙があります。
薩摩芋焼酎は黒瀬杜氏の手によることはここで知ったことですが、
機械化が進んだ現在は
黒瀬杜氏の経験に頼る手作りの焼酎作りが
少なくなって来ています。
杜氏の里笠沙は技術を後世に伝えるための伝承展示館です。
生産もしていますので、蒸気機関車でいう動体保存みたいなものです。
黒瀬杜氏の出身がこの近くの黒瀬集落です。
杜氏の里笠沙


蒸留原理


古い蒸留機

以前、新彊に行った時、
モンゴル族がこれと同じような仕掛けで、
ヤクの乳からお酒を作っていました。







笠沙後浜展望所


野間岬への分岐の所に笠沙恵比寿というテーマパークのような施設がありましたが
素通りしました。


美しい海岸が続きます。


しばらく行くとだんだん畑が見えて来ます。


野間半島の東側に石垣群の里があります。
大当(おおとう)という集落ですが、
珍しいので歩いてみました。
誰にも会いませんでした。
矢印の順路案内だけはありましたね。
大当集落









以上が前日の見聞です。

万世特攻平和祈念館から吹上浜に入ろうとしましたが
広過ぎてよく分かりません。
適当な道を行くと施設への突き当たりです。
ムダな抵抗はヤメてひたすら北上します。
日置市、いちき串木野市、薩摩川内市を過ぎて
阿久根市で国道3号ともお別れです。
国道389号に入ります。
雨も止んできたようです。
黒之瀬戸大橋を渡れば長島町です。
ひたすら走って来ましたが、
ここからスローになりました。
黒之瀬戸大橋


長島から天草を見る


ゆっくり走って道路は蔵之元港のフェリー乗り場に到着です。
道路はフェリー乗り場で終りです。


蔵之元港から天草市の牛深までの三和フェリーに乗ります。
湾内であっても水がきれい


フェリーの甲板にいるとトビウオが飛んでいるのが分かります。
かなりの距離を飛ぶんですね。
海面すれすれで50mくらい飛んだかな。
牛深


天草市は熊本県になります。
天草市というより天草下島といった方がピンときます。
次ぎの目的地は天草下島の崎津教会です。



田植え始まる 九州の旅21 キャンプ場周辺

2015-06-07 02:45:44 | 風景写真
山麓線では一斉に田植えが始まりました。
梅室?に小さなため池があります。
普段は通り過ぎますが、
ハスや水草などの芽葺きが出ていたので遊んでみました。








梅室


寺口


平岡


山口


関屋では田植えが終わっていました。




南郷


伏見のあの池


西佐味






九州の旅21 キャンプ場周辺

キャンプ場の近くに滝がある情報。
キャンプ場を去る朝に行きました。
八瀬尾の滝


鹿児島に入って多く目に付いたものは巨大なプロペラです。
九州電力風力発電とありました。


川辺の見どころとして清水(きよみず)磨崖仏があります。
川沿いの岩に彫られていますが、崩落の可能性があるので立ち入り禁止になっていました。
川の反対側から見る訳ですが、遠く過ぎて何が彫られているか分かりません。
肉眼では見えませんが、カメラでは写っていました。
紅葉時は美しそうですね。







地味な磨崖仏です。

キャンプ場周辺はが霧に包まれることがあります。






年寄りは夜中に必ず起きるので、晴れていれば写真を撮ります。
西の空、さそり座の方向で天の川が写っています。
露光時間は10秒から20秒です。
右下に飛行機の航跡が見えます。








よく見かけたこの植物の名、なんですかね。


雨の中で・・・ 九州の旅20 開聞・枕崎・坊津

2015-06-07 02:14:17 | 風景写真
雨の中で・・・
朝刊を配らなくなって
朝の撮影が多くなりました。
昨日も霧雨の中を安田の里に向けて走りました。
全くの霧の中、土曜日であっても誰もいませんでした。

久しぶりに深野に行ってみようと、室生三本松に向けて走り出しました。
大野と三本松の間の道に入り、農免道路に出て深野への道を選びます。
深野は典型的な鎮守の森のある村です。
鎮守の森

今の時期はササユリが咲いている頃です。
地元の努力によってササユリが保護されています。

深野のササユリ












深野風景

ササユリは左の杉木立の所です。

新しく出来た貸し切り農家


帰りにコアジサイの様子を見てきました。
宇陀のコアジサイは標高が低いだけに早く咲きます。
東吉野は蕾みだろうな。
でも少し早いようです。







九州の旅20 開聞・枕崎・坊津

知覧には4日間いましたが
キャンプ場は森のかわなべにしました。
もっと近くに岩屋公園キャンプ場がありましたが、
とにかく高くて3泊で8000円を越えるものでしたので、
少し遠いが森のかわなべにしました。
(森のかわなべ 1220×3 3660円)
2日目までは1張、3日目は2張りでした。
ここでテントを張るとき、ポールが折れまして、
急遽、張り紐で応急手当。
フライシートがあるのでつなぎ目は隠れます。

川辺(かわなべ)は南九州市ですが
以前は川辺町で仏壇の名産地です。
至る所に仏壇の看板が見られます。
ここからは指宿や枕崎、坊津などが等距離にあります。

2日目は出発してから地図を忘れたことに気付きましたが、
よくあることなので地図なしで走りました。
指宿スカイラインの頴娃ICに行き、
頴娃ICからはバイク通行可なので、池田湖に向かいました。
池田湖から開聞岳がよく見えるはずですが、
靄がキツくうっすら分かるぐらいです。
前景に花のあるところを探して記念写真。

すると地元の人がやって来て、
Uターンで首都圏から故郷に戻って来た話や
ここでの時間の流れが遅いことなどなど・・・
あげくに
案内して上げようかというので、
ていよく断りますが、
釜蓋神社というのが人気らしいという情報だけは頂きました。
釜蓋神社、初めて聞く名前です。
勝負の神様らしい。スポーツ選手がよく行くということでした。
とりあえず
池田湖から枚聞神社(新緑が美しかったので)に寄ってから、

開聞岳の麓を通って長崎鼻へ。
国東の長崎鼻と薩摩の長崎鼻に行った訳ですが、
国東の方が良かったなー。
開聞岳

指宿には行かずに、JR駅最南端「西大山駅」に行きました。
西大山駅へは8年前に訪れたので2回目です。
丁度列車が到着したところでした。
西大山駅




今回の旅行では駅によく寄りました。
豊後森駅、駅名が一番長い駅、高森駅、飫肥駅、西大山駅。
駅名が一番短い駅がこの近くにあるのです。
三重県の津つ(tsu)駅が短いですが、枕崎線頴娃えい(ei)駅も短いです。
兵庫県の粟生あお(ao)駅も同じ条件です。
この後、枕崎駅にも行きます。

そう、池田湖で聞いた釜蓋神社に向かいます。
案内があったので迷うことはありませんでした。
旧頴娃町にあります。
駅名で言うと頴娃大川駅の南です。
小さな入江にあります。
射楯兵主(いたてつわものぬし)神社が正式名名称。
奈良県桜井市にある穴師大兵主神社も(つわものぬし)ですね。
釜蓋神社



写真を見て下さい。参拝者が頭に何かを載せていますね。
釜の蓋です。
釜の蓋を頭に載せて参拝すれば願いが叶うと言う。
ナデシコジャパンの澤さんも来たとか。

以前、枕崎に来た時は枕崎駅は工事中で駅舎がありませんでした。
ホームがあった場所に行ってみましたが、発着、終着の塔があるだけで駅舎はありません。
その場所にスーパーが出来ていました。
聞きました。
駅が100mほど移転したということ。
枕崎駅





市民の寄付で出来たと聞きましたが、本当ですか。
お魚センターがあるとのことで、行ってみましたが、
平日でイベントもなくふつうの市場だったのですぐに出ました。
枕崎のシンボル立神岩だけは見て来ました。


枕崎から坊津まで国道226号を走れば遠くはありません。
リアス式海岸ですが切れ込みが浅いので長くは感じません。
高所を走るので展望は良いです。
東シナ海の青さは内海と違います。
あまりにも気持ちがいいので、枕崎・秋目間は結局3回走りました。
坊津は薩摩藩の密貿易?の基地でした。
薩摩藩が先取で裕福だったのは坊津の存在が大きいようでした。

また僧鑑真が苦難の末、坊津の秋目湾に上陸した。
その秋目湾を見下ろす場所に鑑真記念館があります。
鑑真記念館


秋目湾


坊津の国名勝双剣石ですが、遠過ぎて霞んでしまいました。


道路から見る海は美しいです。










九州の旅19 知覧2 武家屋敷と茶畑

2015-06-06 00:06:18 | 風景写真
昨日の朝は焼けると期待しましたが、
はじめちょろちょろでした。
御所市森脇







九州の旅19 知覧2 武家屋敷と茶畑

知覧には知覧城址がありますが、
室町時代の山城で、
今残っている武家屋敷との直接な関係はないようです。


武家屋敷は江戸時代のもので、
一国一城令で城はなく、薩摩藩の役人の駐屯地みたいな所でした。
きれいに積まれた石垣が特長です。







武家屋敷の誰もいない写真を撮りたくて、
朝一番に行ったのですが、東西の通りなので、
朝日が一番に照って来るのです。
3回行ったのですが、思うような写真は撮れませんでした。






知覧の農地は広いシラス台地の上に広がっています。
鹿屋とよく似ています。
霧が多く出るのでお茶の栽培に適しています。
日本で一番先に一番茶が飲めるところです。
早速いただきました。
奈良の茶畑をよく撮るので知覧の茶畑には興味しんしんです。


平地なので刈り取り機械も大きいようです。




バックの山も地元では有名でしょうね。












ここでお茶の生産のトップ5を紹介します。
1位静岡県 2位鹿児島県 3位三重県 4位宮崎県 5位京都府、1位と2位は頭抜けています。

高台に登ります。
茶畑の写真を撮っている人には出会いませんでした。









開聞岳をバックに撮れると言うのですが
ここにいる間は靄が濃く見えませんでした。
奈良と違って規模が違いました。

九州の旅18 知覧1

2015-06-05 01:21:21 | 風景写真
昨日の安田の里は深い霧の中でした。




修羅の写真展 良かったですよ。

印象に残ったのは
小田さんの晩秋雨情、青い湖岸
中田さんの梅雨の女神、艶美
渡辺さんの水面の朝
油谷さんの雪月花
福岡さんの全部 です。
日曜日までです。

奈良に行ったついでに唐招提寺に行きました。
今日から3日間は秘仏鑑真和上像の公開日です。
前日はすいているのと天気がいいので金堂を見て来ました。
何回も行っているので、今更という感じですが、
国東半島の富貴寺大堂との比較がありました。
規模は違うのですが、内陣も含めて
富貴寺大堂の方が美しいと直感しましたが、
並べてみると甲乙付け難いです。

唐招提寺金堂


富貴寺大堂




九州の旅18 知覧1

ホテルから国道に出ようと裏道を通って行ったのですが、
住宅地に入ってしまった。
迷ったのです。
迷った場合、和尚はどうするか。
10万一の地図を見ても現在位置は分かりません。
太そうな道をそのまま走ります。
大体の方向は分かっているので、標識があったら、それに従う。
標識がなく、川などがあったらしめたものです。
川は下流(海に)に流れます。
堤防をひたすら下ります。
今回は谷山に出ました。谷山は鹿児島では有名な地名です。
あとは国道に合流するだけです。
こんな事は何回もありました。

知覧は今回の旅の一つの目的地でもありました。
平成の大合併で知覧町は南九州市になってしまいました。
平川から主地道を標識に従って知覧まで来ました。
本通りには電柱がありません。

武家屋敷を売りにしているので、環境は整備されています。
歴史的風景が多い奈良と比較すると、
奈良はまだ歴史的風景整備途上地域ですね。
主地道の南側が歴史的風致地区らしい。

最初に目にしたものは“おめでとう”のポスターです。
発光ダイオードでノーベル賞の名古屋大学の大崎教授は知覧出身です。
ちらんかった。

武家屋敷は明日にして、今日は知覧特攻平和会館です。

平和会館にはひっきりなしに入場者が訪れています。
特攻隊員の遺品や家族とのやり取りの書簡(手紙)、遺書がメインになっています。
軍の無謀な作戦を指弾するのは簡単ですが、
20歳に満たない少年の純真な“こころ”は涙なしには読めません。

特攻基地は九州や台湾各地にありましたが
知覧の基地が戦死者最大でした。
1036名中
知覧が402名
健軍(熊本)が127名
万世(加世田)が120名 多い順です。

特攻兵像


特攻機レプリカ


復元された三角兵舎


海から引き上げられた特攻機0戦

中は撮影禁止です。外からガラス越しに撮っています。

残っている給水塔


高倉健主演の映画ホタルのロケ地


特攻隊員のエピソードより(転載)
「藤井一少佐は歩兵科出身で熊谷飛行学校の中隊長として少年飛行兵の精神教育を担当していました。
教え子達が戦死する中、自らも特攻を志願しましたが、
航空技術の専門ではなかったので願いは聞き入れてもらえず、
特攻への志願、却下がくり返されました。

そんな中、夫の固い意志を知った奥さんは、
『私達がいたのではこの世の未練になり、思う存分の活躍が出来ないでしょうから、
一足お先に逝(い)って待っています』という遺書を残し、
長女と次女を連れて飛行学校近くの荒川に身を投げました。

妻子の死を無駄にしまいと藤井少佐は再度、特攻への志願を強く訴えました。
軍でもこうした事情を考慮した結果、特攻志願を受理することとなりました」

これを美談ととるか、むごいととるか、色々ありましょうが、
私は
これを読んで(聞いて)複雑な気持ちになりました。
涙を誘うというより、おろかと言うかむなしさをを感じました。

隣にある知覧ミュージアムにも行きました。
郷土博物館です。
ここには誰も来ません。
ここで重い心は、少し軽くなりました。

武家屋敷近くに軍指定の食堂があります。(まだ残っています)

富屋食堂です。
特攻隊員に“おかあさん”と慕われた鳥濱トメさんの経営した食堂が
ほたる富屋食堂として保存されています。

同じく富屋旅館

中に隊員のめい福を祈った観音堂があります。