今回のH先生ご夫妻の騒動と周囲で奔走している教会員の方々を客観的に見て思うことがあった。
なかなか現実を直視することは辛いこともあるし、考えないで済むならばそれはそれでいいのかもしれない。
しかし、いずれ自分も老いていく(40年、50年先のことではあるが・・・)わけなので、自分のことは自分でけじめをつけなくてはならないと考えさせられた。
「大丈夫ですから・・・」というのがH先生の口癖のようだ。
それはご本人が本心からそう言っておられるのだと思う。
周囲に心配をかけたくないという心配りの現われかもしれない。
あるいは、自分はまだできるから人の手を煩わせる必要がないと思っておられるのかもしれない。
しかし現実問題として、教会員の方々はH先生ご夫妻の日常のお世話や今回のような事態で心配しなければならなかった。
ちょうどお子さんがいらっしゃらないという環境も、教会員の方々に依存するという構図ができてしまうのに影響を与えたのだと思う。
ちょうど教会員の方々が、それを担うことができたのが幸いだった。
しかし、当のご本人たちはあまり気付いていらっしゃらない。
ちょうど自分の親の介護にかかわっているRさんの話を聞いた。
Rさんのお母さんも「大丈夫。」とよく言っていたそうだ。
でも全然大丈夫ではなかったとのこと。
年齢とともにできなくなることも多くなるのは仕方が無い。
しかし、それを認めることができないと本人もそうだが周囲の人も困る。
できないことはできないと認めて、助けを受けるということは大事なことだとつくづく思った。
それにはある意味勇気がいるかもしれないし、プライドは捨てなくてはならないだろう。
「老い」て行く中で、できなくなることもあるけれど、できることもあるはずだ。
神様がこの地上での命を与えてくださっている限り、できないことはできない、できることをしようという気持ちでいたい。
それはもしかしたら、自分はベッドで横たわりながら、訪ねてきた人に微笑みかけることしかできない時が来るかもしれない。
でもそれで「よし」と受け入れられる自分でいたい。
こんなことを書きながら、自分にその時期が訪れた時、果たして自分にはそれができるだろうか?と自問せずにはいられない。
ある方が「かわいいおばあちゃんになるのが夢なんです」とおっしゃったのが頭の片隅に残っている。
なかなか現実を直視することは辛いこともあるし、考えないで済むならばそれはそれでいいのかもしれない。
しかし、いずれ自分も老いていく(40年、50年先のことではあるが・・・)わけなので、自分のことは自分でけじめをつけなくてはならないと考えさせられた。
「大丈夫ですから・・・」というのがH先生の口癖のようだ。
それはご本人が本心からそう言っておられるのだと思う。
周囲に心配をかけたくないという心配りの現われかもしれない。
あるいは、自分はまだできるから人の手を煩わせる必要がないと思っておられるのかもしれない。
しかし現実問題として、教会員の方々はH先生ご夫妻の日常のお世話や今回のような事態で心配しなければならなかった。
ちょうどお子さんがいらっしゃらないという環境も、教会員の方々に依存するという構図ができてしまうのに影響を与えたのだと思う。
ちょうど教会員の方々が、それを担うことができたのが幸いだった。
しかし、当のご本人たちはあまり気付いていらっしゃらない。
ちょうど自分の親の介護にかかわっているRさんの話を聞いた。
Rさんのお母さんも「大丈夫。」とよく言っていたそうだ。
でも全然大丈夫ではなかったとのこと。
年齢とともにできなくなることも多くなるのは仕方が無い。
しかし、それを認めることができないと本人もそうだが周囲の人も困る。
できないことはできないと認めて、助けを受けるということは大事なことだとつくづく思った。
それにはある意味勇気がいるかもしれないし、プライドは捨てなくてはならないだろう。
「老い」て行く中で、できなくなることもあるけれど、できることもあるはずだ。
神様がこの地上での命を与えてくださっている限り、できないことはできない、できることをしようという気持ちでいたい。
それはもしかしたら、自分はベッドで横たわりながら、訪ねてきた人に微笑みかけることしかできない時が来るかもしれない。
でもそれで「よし」と受け入れられる自分でいたい。
こんなことを書きながら、自分にその時期が訪れた時、果たして自分にはそれができるだろうか?と自問せずにはいられない。
ある方が「かわいいおばあちゃんになるのが夢なんです」とおっしゃったのが頭の片隅に残っている。