マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

多くの人の贖いの代価となるため

2007-12-05 19:20:25 | 教会の風景
『イエス・キリストの受難』


第8課 「多くの人の贖いの代価となるため」

マルコ10:45
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」


本文を読むにあたり、理解の助けになるかと思い、要点を紹介。
毎回3つ程度にポイントを絞り、質問形式で挙げている。
今まで直前に手書きで書いていたが、さすがに見栄えがしないので、パネルを準備。



①「贖う」の意味は?

② 誰に代価が払われたのか?

③ 代価として要求されたのは?


今回この学びの準備をしていて、「贖う」の意味の説明を考えていた。

この本を思い出した。
私にとっては懐かしい本。
まだ私が豊橋にいたとき、W先生が教えてくださった宣教師訓練学校(聖書の学び会)で使ったテキストの一冊。

「聖書の教える救いについて」


その中に「贖い」の項目があったことを思い出し、改めて読んでみた。
丁寧で、しかも難しすぎないので、その本文を参考に。


主にあって集まることができる幸いを感謝。
今日も集まる方々と心をあわせて祈り、みことばに学ぶことができますように。

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いなくなった一匹が見つかる喜び

2007-12-05 14:06:02 | 聖書通読
ルカの福音書15:4-6

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。」

パリサイ人、律法学者らの批判を受けて、イエス様が語ったたとえ話。
イエス様のこころが表れている。

失われた一匹をなんとかして探しだそうとする思い。
そして、見つかった時の喜び。

かつて失われていた自分も、そのようにしてイエス様に喜ばれている存在であることに感謝!
そしてまた、イエス様とともに喜びを分かち合うこともできる。

今年のクリスマスも迷い出た一匹の羊が見出されるときとなりますように!
いなくなった一匹が戻った喜びを主とともに分かち合うことができますように!

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コンディション調整中

2007-12-05 13:46:23 | 教会の風景
久しぶりに口内炎。
先週末からの疲れが出たのかも。
基本的に寝込むほど体調を崩すことはまずないけれど、睡眠不足や疲れにはかなり弱い。
タフにいろいろこなせることに憧れるけれど、残念ながら自分はそのタイプではないらしい。

月曜日は午後から牧会カウンセリング講座で御茶の水へ。

火曜日は午前中神学校。午後は電話相談、ポスティングの準備や祈祷会の準備。ブログの更新も。

今日はSさんとギターの時間。いっしょに賛美したり話をして過ごした。
その後ポスティングへ出かけ、1時間半ほどクリスマス礼拝の案内を配った。
今エアコン修理の業者さんが来ている。
今晩は祈祷会。

ほぼいつも通りの予定の中で、適度に休息もとりながら回復中。

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