本日、
前期の最後の科目が終了しました。
原典講読の試験、ちょっと手応えに??
前回と少し出題形式が違いました。
一応全部埋めることは埋めたけれど、正直なんとも言えないスッキリしない感じです
でも、できることはやったし、結果は委ねるしかありませんね。
今学期も最後まで学ぶことができて感謝でした
改めて、こうした機会が自分に与えられていることを、まず神様に感謝したいと思います。
また、理解し、サポートしてくださっている教会のみなさんにも感謝したいと思います。
さて、しばらく間が空きましたが、新約各書の課題レポートの続きです。
テサロニケⅡ 1:1-12
「試練の中にある教会に対して」
先の手紙を書き送り、数週間も経たないうちにパウロは再び手紙を書いたと考えられている。
それだけの必要性と緊急性があった背景を考慮すると、テサロニケの教会へのパウロの態度が変わっていないのは、むしろ意外な印象さえ受ける。
「兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです」(3)。
「それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、・・・誇りとしています」(4)。
まず、パウロの心にあったのは、信仰と愛において成長している兄弟姉妹についての神への感謝であった。
彼らは依然としてパウロの誇りであった。
感謝に始まり、今度は苦しみの中にある兄弟姉妹への労わりである。
慰めと励ましのために、主イエスの再臨と最後の審判について言及する。
それは信者にとって安息(7)と感嘆(10)をもたらすものである。
一方、未信者には苦しみ(6)と永遠の刑罰(9)を意味する。
迫害と艱難の中に置かれた教会にとって、慰めと励ましとなる真理である。
それとともに、以前から起こっていた終末に関する理解の混乱も配慮してのことでもあろう。
兄弟姉妹への思いから神への感謝が生まれ、慰めと励ましと続き、とりなしの祈りとなる。
「どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きを全うしてくださいますように」 (11)。
御霊に導かれたパウロは、感謝、福音に基づく励ましの言葉、そしてとりなしの祈りを再び書き送った。
渦中に置かれたテサロニケ教会にはまさに必要だった。
一方、教会内の問題解決に心を奪われるあまり、冷ややかな態度で互いの問題点を指摘しあうような状況に陥りやすいのが私たちである。
徹底して教会を愛し、教会に仕えた牧会者の姿から学びたい。

原典講読の試験、ちょっと手応えに??

前回と少し出題形式が違いました。
一応全部埋めることは埋めたけれど、正直なんとも言えないスッキリしない感じです

でも、できることはやったし、結果は委ねるしかありませんね。
今学期も最後まで学ぶことができて感謝でした

改めて、こうした機会が自分に与えられていることを、まず神様に感謝したいと思います。
また、理解し、サポートしてくださっている教会のみなさんにも感謝したいと思います。
さて、しばらく間が空きましたが、新約各書の課題レポートの続きです。

「試練の中にある教会に対して」
先の手紙を書き送り、数週間も経たないうちにパウロは再び手紙を書いたと考えられている。
それだけの必要性と緊急性があった背景を考慮すると、テサロニケの教会へのパウロの態度が変わっていないのは、むしろ意外な印象さえ受ける。
「兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです」(3)。
「それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、・・・誇りとしています」(4)。
まず、パウロの心にあったのは、信仰と愛において成長している兄弟姉妹についての神への感謝であった。
彼らは依然としてパウロの誇りであった。
感謝に始まり、今度は苦しみの中にある兄弟姉妹への労わりである。
慰めと励ましのために、主イエスの再臨と最後の審判について言及する。
それは信者にとって安息(7)と感嘆(10)をもたらすものである。
一方、未信者には苦しみ(6)と永遠の刑罰(9)を意味する。
迫害と艱難の中に置かれた教会にとって、慰めと励ましとなる真理である。
それとともに、以前から起こっていた終末に関する理解の混乱も配慮してのことでもあろう。
兄弟姉妹への思いから神への感謝が生まれ、慰めと励ましと続き、とりなしの祈りとなる。
「どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きを全うしてくださいますように」 (11)。
御霊に導かれたパウロは、感謝、福音に基づく励ましの言葉、そしてとりなしの祈りを再び書き送った。
渦中に置かれたテサロニケ教会にはまさに必要だった。
一方、教会内の問題解決に心を奪われるあまり、冷ややかな態度で互いの問題点を指摘しあうような状況に陥りやすいのが私たちである。
徹底して教会を愛し、教会に仕えた牧会者の姿から学びたい。