この前の日曜日です。
礼拝説教は、出エジプト記8:20-24を中心に「区別」という題で話しました。
「わたしは、わたしの民とあなたの民との間を区別して、救いを置く。」(23節)
エジプトへの災害の間も、主はイスラエル人を守りました。
そこには明確な区別がありました。
救いの特徴の一つです。
救われているか否かは非常に大切な点です。
差別しているのではなく、区別があるということです。
救われているということは、神の裁き、神の怒りを免れているということです。
そして、神の守りと備えと交わりの中に生きるのです。
午後はフリーでした。
日曜の午後に出かけるのは珍しいことですが、
ちょうど、市内の聖書学院教会でチャーチフェスティバルという行事があったので、出かけました。
妻が親しくしている宣教師や牧師、知り合いの方々にも会うことができました
軽食、バザーや展示会、ハンドベルの演奏会などもあって、にぎわっていました。
そして、いつものようにYouth For Jesusへ。
先週参加してくれたYちゃんが続けて参加してくれました。
先週のみことばに励まされたとのこと、うれしいです
やっぱり、聖書の言葉は人を励まし、元気を与えてくれます。
いつものように夕食もしながら、ゆっくり交わりました。
メニューは、チキンパルメザン。
礼拝説教は、出エジプト記8:20-24を中心に「区別」という題で話しました。
「わたしは、わたしの民とあなたの民との間を区別して、救いを置く。」(23節)
エジプトへの災害の間も、主はイスラエル人を守りました。
そこには明確な区別がありました。
救いの特徴の一つです。
救われているか否かは非常に大切な点です。
差別しているのではなく、区別があるということです。
救われているということは、神の裁き、神の怒りを免れているということです。
そして、神の守りと備えと交わりの中に生きるのです。
午後はフリーでした。
日曜の午後に出かけるのは珍しいことですが、
ちょうど、市内の聖書学院教会でチャーチフェスティバルという行事があったので、出かけました。
妻が親しくしている宣教師や牧師、知り合いの方々にも会うことができました
軽食、バザーや展示会、ハンドベルの演奏会などもあって、にぎわっていました。
そして、いつものようにYouth For Jesusへ。
先週参加してくれたYちゃんが続けて参加してくれました。
先週のみことばに励まされたとのこと、うれしいです
やっぱり、聖書の言葉は人を励まし、元気を与えてくれます。
いつものように夕食もしながら、ゆっくり交わりました。
メニューは、チキンパルメザン。