昨日
は早めに休み、今朝はゆっくりしました。
おかげで調子が戻りました。
祈祷会の準備
や教会内のそうじや片付けをしました。
Kさん夫妻も来てくださり、教会内のいろいろな奉仕をしてくださいました。
今日、手紙
が届きました。
ラオスで農業に従事しつつ、あかししているTさんご夫妻のニュースレターが同封されていました。
この夏せっかく植えた稲の苗が、大水で流されてしまったそうです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
異文化では、まず普通に生活すること自体が本当に根気のいることだな~とつくづく思いました。
ですが、そのような中でも、福音を伝える環境が整えられるということも不思議です。
Tさん夫妻の報告に、心を奮い立たせられる思いです。
見えるところ小さな働きでも、確かに主は働いておられ、救われる人々がいます。
これからも教会のみなさんと祈りつつ、協力していきたいと思います。
テサロニケの手紙のショートメッセージの続きです。
テサロニケⅡ 2:13-3:5
「主の真実のゆえに」
この手紙の冒頭の一節(1:3)を思い起こさせる、神への感謝について触れている(2:13)。
それは、すぐ前に述べられた信じない者への神の裁きの宣告(12)とは対照的である。
テサロニケの教会の存在は、パウロたちの心に常に神への感謝をもたらしていた。
「神に感謝しなければなりません」という義務的な表現を用いることで強調されている。
彼らは、「主に愛されている兄弟たち」、 「神が初めから救いにお選びになった」者たちである(13)。
また、神が、パウロたちの宣教を通して召し、主の栄光を授けた者たちである(14)。
ここで主の愛と神の選びを確認することで、困難の中に置かれていた信者たちへの励ましを意図していたことが読み取れる。
そのような彼らに期待されることは、なおも「堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝え」つまり福音を守り続けることであった(15)。
ここでも祈りがささげられる。
テサロニケの信者たちが、主イエスと父なる神からの慰めと希望によって、心が強められ慰められるように(16,17)。
また、彼らが、良い行いと言葉において進歩が遂げられるように(17)。
その後には祈りの要請が続く。
パウロらの課題として宣教の拡大(3:1)と身の安全(2)があげられている。
そして、互いの歩みが主の真実に基づくことを確認するように導かれる。
「主は真実な方」(3)という真理は、堅く立ち続けるために最も確かで安定した足場である。
また、この真理は、すでに多くの困難の中でパウロ自身が体験してきたものでもあった。
それゆえ、先の祈りの答え(2:17,3:3)も、命令への応答(2:15,3:4)さえも、主の真実のゆえに成し遂げられると確信することができた。
互いに主の真実に注目することこそ、神への感謝を増し、人々への奨励に慰めを添え、祈りに確信を与えるものである。
主は常に真実な方である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0172.gif)
おかげで調子が戻りました。
祈祷会の準備
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0070.gif)
Kさん夫妻も来てくださり、教会内のいろいろな奉仕をしてくださいました。
今日、手紙
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0106.gif)
ラオスで農業に従事しつつ、あかししているTさんご夫妻のニュースレターが同封されていました。
この夏せっかく植えた稲の苗が、大水で流されてしまったそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
異文化では、まず普通に生活すること自体が本当に根気のいることだな~とつくづく思いました。
ですが、そのような中でも、福音を伝える環境が整えられるということも不思議です。
Tさん夫妻の報告に、心を奮い立たせられる思いです。
見えるところ小さな働きでも、確かに主は働いておられ、救われる人々がいます。
これからも教会のみなさんと祈りつつ、協力していきたいと思います。
テサロニケの手紙のショートメッセージの続きです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0070.gif)
「主の真実のゆえに」
この手紙の冒頭の一節(1:3)を思い起こさせる、神への感謝について触れている(2:13)。
それは、すぐ前に述べられた信じない者への神の裁きの宣告(12)とは対照的である。
テサロニケの教会の存在は、パウロたちの心に常に神への感謝をもたらしていた。
「神に感謝しなければなりません」という義務的な表現を用いることで強調されている。
彼らは、「主に愛されている兄弟たち」、 「神が初めから救いにお選びになった」者たちである(13)。
また、神が、パウロたちの宣教を通して召し、主の栄光を授けた者たちである(14)。
ここで主の愛と神の選びを確認することで、困難の中に置かれていた信者たちへの励ましを意図していたことが読み取れる。
そのような彼らに期待されることは、なおも「堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝え」つまり福音を守り続けることであった(15)。
ここでも祈りがささげられる。
テサロニケの信者たちが、主イエスと父なる神からの慰めと希望によって、心が強められ慰められるように(16,17)。
また、彼らが、良い行いと言葉において進歩が遂げられるように(17)。
その後には祈りの要請が続く。
パウロらの課題として宣教の拡大(3:1)と身の安全(2)があげられている。
そして、互いの歩みが主の真実に基づくことを確認するように導かれる。
「主は真実な方」(3)という真理は、堅く立ち続けるために最も確かで安定した足場である。
また、この真理は、すでに多くの困難の中でパウロ自身が体験してきたものでもあった。
それゆえ、先の祈りの答え(2:17,3:3)も、命令への応答(2:15,3:4)さえも、主の真実のゆえに成し遂げられると確信することができた。
互いに主の真実に注目することこそ、神への感謝を増し、人々への奨励に慰めを添え、祈りに確信を与えるものである。
主は常に真実な方である。