マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

新しい葉

2017-08-21 20:54:20 | 教会の風景


しばらく前に、Kさんが教会の礼拝時の講壇用にフラワーアレンジメントを用意してくださいました。
そのときのアイビーを瓶に挿しておいたら、根が出て、新しい葉も出てきて、成長しています。
今は、寮の窓際に置いて、育てています。


同じく窓際に置いている、鉢植えのワイルドストロベリーも元気です。
こちらは、教会開拓の新たな出発にとN君に頂いたものですから、もう1年半以上経っていることになります。
たぶん地植えにしたり、器を大きくしたら広がっていくのでしょうが、今はこの大きさに収まっているくらいがちょうどいいです。



ちょっとしたグリーンが部屋にあることで和みます。



さて最後に、今月の礼拝の講解説教(旧約聖書より)のあらすじを掲載しておきます。

2017年8月 士師記6章
今年も終戦記念日を迎える。平和を祈り、信仰について考える時としたい。聖書は、(6:1a)「イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった」と伝える。40年の穏やかな時代(5:31)を経て、再び主を捨ててカナンの神々を礼拝するようになっていた。主の民の信仰の変質に人間の罪深さの現れを見る。一方、主は懲らしめを与えた。(6:1b)「そこで、主は7年の間、彼らを『ミデヤン人の手』に渡された。」と表現されるように、イスラエルはミデヤン人の勢力の前になす術なく、何もかも奪われ、みるみる弱体化していった(6:2-6a)。私たちはこの記事に何を学ぶべきか。神の非情さだろうか、いや、苦境に追い込まれてようやく(6:6b)「主に叫び求めた」という民の鈍さや愚かさであろう。私たちの信仰を変質させている有形無形の偶像を捨てて、主を慕い求めよう。
 伝道者の召命について考える。主はイスラエルを救うため、ギデオンに御使いを遣わした。しかし、彼は(6:12)「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」という呼びかけに抵抗を感じた。彼の心のひっかかりは、(6:13)「ああ、主よ」という嘆き、「なぜ…」「どこに…」という問いに現れている。神を知らないわけではないのに、悪夢のような現実をシビアに受けとめるあまり、彼の心に主の召命のことばは響かないのか。主は彼の問いに答える代わりに、今の彼の力で行動を起こして民を救うように命じ、『わたしがあなたを遣わす』と語る(6:14)。人脈も実績もないとのギデオンの発言(6:15)には、「わたしはあなたといっしょにいる」(6:16a)と語る。神は人を召し、遣わす。私たちは、私たち自身と教会を取り巻くこの時代の現実に直面している。しかし、それでもなお、神の召命を受けて立ち上がる人々があると信じ、祈り、また協力する。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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