久しぶりの更新になりました
マイペースの本領発揮です。
おかげさまで元気ですが、気持ちと実際の自分の仕事量がかみ合わず、少々空回り気味です。
さて、昨日は
聴講している新約神学の
中間試験でした。
講義では、U先生から福音書における神の国/福音書・使徒の働き・パウロ書簡における聖霊論というテーマで学びました。
今回の一連の学びも、随分教えられることが多かったです。
そして、今度は発表とレポート提出があります。
私の選んだテーマは、「パウロ書簡における神の怒り」です。
一応、資料となる本を少し集めてありますが、本格的にはこれからです。
ここ2週間の間に、時間を作って集中して
まとめていきます。
最近
本を読むペースが追いついていかない状態です
でも、自分にとってはちょうど良い訓練なのでしょう。
今までの蓄積があまりない分、しっかり吸収していきたいと思います。
今日も学校に行ってきました。
チャペルから出席。
最近改めて思うのですが、このチャペルの時間も自分にとって、本当に大切な時間になっています。
A先生の説教で、
ヨハネ4:12を中心に、前後の文脈も踏まえて教えて頂きました。
「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。
もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」
神を知ることと互いに愛し合うことは、表裏一体、不可分であるということです。
ますます神を知ることと、本当の意味で愛することを求めていきたいものです
その後の講義は、組織神学の神論でした。
神の属性というテーマの中で、神の超越性と内在性について触れられました。
イザヤ57:15
「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。
『わたしは高く聖なるところに住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』
神は、至高の存在であり、永遠の御方であり、聖なる方です。
そのような御方が、人の内に住まわれるとは・・・
普通に考えれば、そんなことはありえないと結論づけても不思議ではありません。
しかし、
神は、ご自分のことを人の内に住む者だとも語っています。
神がそのような御方だと知るとき、私たちは深く恐縮するとともに、感謝と礼拝する心に満たされます
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マイペースの本領発揮です。
おかげさまで元気ですが、気持ちと実際の自分の仕事量がかみ合わず、少々空回り気味です。
さて、昨日は
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講義では、U先生から福音書における神の国/福音書・使徒の働き・パウロ書簡における聖霊論というテーマで学びました。
今回の一連の学びも、随分教えられることが多かったです。
そして、今度は発表とレポート提出があります。
私の選んだテーマは、「パウロ書簡における神の怒り」です。
一応、資料となる本を少し集めてありますが、本格的にはこれからです。
ここ2週間の間に、時間を作って集中して
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最近
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でも、自分にとってはちょうど良い訓練なのでしょう。
今までの蓄積があまりない分、しっかり吸収していきたいと思います。
今日も学校に行ってきました。
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最近改めて思うのですが、このチャペルの時間も自分にとって、本当に大切な時間になっています。
A先生の説教で、
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「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。
もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」
神を知ることと互いに愛し合うことは、表裏一体、不可分であるということです。
ますます神を知ることと、本当の意味で愛することを求めていきたいものです
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その後の講義は、組織神学の神論でした。
神の属性というテーマの中で、神の超越性と内在性について触れられました。
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「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。
『わたしは高く聖なるところに住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』
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そのような御方が、人の内に住まわれるとは・・・
普通に考えれば、そんなことはありえないと結論づけても不思議ではありません。
しかし、
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神がそのような御方だと知るとき、私たちは深く恐縮するとともに、感謝と礼拝する心に満たされます
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