マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

礼拝者のこころ

2006-12-03 22:32:29 | 教会の風景
< 本日の礼拝説教 >
 創世記12:5-9

「そのころ、主がアブラムに現れ、そして『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。』と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記12:7)


■「主がアブラムに現れ」
聖書の中で「主が現れ」という表現が使われた最初の箇所。
主の贖いの計画の最初を担う人物に「主が現れ」という言い方が使われていることに注目。
その後の聖書の記録の中で、イサクやヤコブ、モーセやソロモンにも「主が現れ」たとされる。


主は選んだ人にご自分を現される。
救いを受ける人の側近くにいることをアピールしている。
主は選んだ人を決して忘れていない。
「救い」を受けるとは、主の臨在の中に入れられること。


聖書を見ていくと、主がご自分の存在を現す時、その方法は非常にバラエティに富んでいる。
この聖書箇所では詳しいことは分からないが、ある時は、夢や幻で、またある時は雲や火の柱で、まぶしい光の中で、またある時はかすかな声で。
形式は違っても、選びの民に主はご自身を何度も現された。



■「『あなたの子孫にこの地を与える』と仰せられた」
この言葉の背後にも神様の心の内を垣間見ることができる。
かつて、アブラムはウルでの最初の召命に従うことに失敗していた。
しかし、ハランで再度のチャレンジを受け、カナンへ向けて一歩を踏みだした。
そして、その約束の地となるカナンに到着。
神様としては「良かった!よくやった!アブラム」という歓喜を込めて語りかけたのではないだろうか?


私たちが主のみこころに従うことを、主は喜んでくださる。
信じて従う者を主は喜んでくださる。
私たちの関心や注意を、主のみこころに向けたい。
主のみこころを知ったら、そのみこころに生きることに全力を注ぎたい。
主が今何を私に求めておられるのか、それが行動の判断基準。



■「アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」
自分に現れてくださった主に対しての感動がアブラムを動かした。
アブラムに祭壇を築かせるという行為を促したのは、主が自分に現れてくださったという驚きと喜びだった。


主の臨在の中で、御言葉からの語りかけを聞くことに感動があるだろうか?
主との交わりの中に喜びや驚きがあるだろうか?
御言葉に向かう中で、こころからの賛美や礼拝へと導かれているだろうか?
主は確かに今も私たちに御言葉を通して語ってくださる。
主が私に語ってくださるという期待感を抱いて聖書に向かいたい。
それが自然な礼拝者の姿につながるだろう。



■創世記のこの箇所までに見られる礼拝者の姿
アベル:自分の仕事の祝福、必要が満たされたことへの感謝
ノア:大洪水(神様の怒り・裁き)からの救いへの感謝
アブラム:主の臨在と語りかけに対しての感謝


「アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」(12:7)
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