6月17日の主日礼拝には、母校の恩師であるM先生を講師にお迎えしました。
その礼拝の中で、説教だけでなく按手礼式の司式をして頂きました。
私はこれまで、神学校を卒業するまでは按手礼を受けないと決めていました。
牧会の現場では「牧師」としての実際の働きを担っていましたが、自分なりの考えで線引きをしていました。
もちろん、それぞれの教団教派や教会の文化もありますが、私の場合は神学教育の重要性を意識してのことでした。
経験を積んで学んでいく部分もありますので、生涯にわたって学び続けるのは言うまでもありませんが、基礎となる神学教育を大切にすべきだと考えています。
振り返ってみますと…
高校生のときに献身の願いが与えられながら、紆余曲折を経て、四十を過ぎてから正式に牧師就任の按手礼を受けました。
随分と回り道をしたようにも思えますが、私には必要な訓練の期間だったのだろうと受けとめています。
この日は、多くの方々の立会いのもと、一つの大事な節目を刻むことができて幸いでした。
このように与えられた節目を記念して、ひとこと記しておくことにしました。
その礼拝の中で、説教だけでなく按手礼式の司式をして頂きました。
私はこれまで、神学校を卒業するまでは按手礼を受けないと決めていました。
牧会の現場では「牧師」としての実際の働きを担っていましたが、自分なりの考えで線引きをしていました。
もちろん、それぞれの教団教派や教会の文化もありますが、私の場合は神学教育の重要性を意識してのことでした。
経験を積んで学んでいく部分もありますので、生涯にわたって学び続けるのは言うまでもありませんが、基礎となる神学教育を大切にすべきだと考えています。
振り返ってみますと…
高校生のときに献身の願いが与えられながら、紆余曲折を経て、四十を過ぎてから正式に牧師就任の按手礼を受けました。
随分と回り道をしたようにも思えますが、私には必要な訓練の期間だったのだろうと受けとめています。
この日は、多くの方々の立会いのもと、一つの大事な節目を刻むことができて幸いでした。
このように与えられた節目を記念して、ひとこと記しておくことにしました。