マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

救い

2006-10-06 14:05:34 | 聖書通読
使徒の働き4:10,12
「皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」

ユダヤ人の議会で使徒ペテロが弁明した際の言葉。
反対派の議会の人々を前にして大胆な証言をしている。

彼が強調しているのは、救いがイエスの名によるということ。
名は、その人の人格・言動そのものを意味する。
つまり、イエス様の言葉やその生涯が、私たちの救いのために必要ということ。
しかも、十字架の死と復活は、イエスの御名による救いにおいて欠かせない要素である。

価値観が多様化している今では、この教えは余りにも排他的だと言われるかもしれない。
しかし、この点において聖書の解釈は変わることがないと私は信じている。
救いは、イエスによってしかあり得ない。

もちろん、だからと言って、他の教えや宗教を信奉している方々を軽蔑したり、争うことを肯定しているわけではない。
キリスト教を大義名分に異教徒と戦争をしていいのかと問われれば、私はためらいなく否と答える。

私が問題にしているのは、神様の前に一人の人として立つ時に、救いとなりえるのは、イエス様の贖いを信じることだということである。
どんな教えもどんな功績も聖なる神様に受け入れられる基準には届かない。

ただイエスの御名を信じる者に無条件に与えられる救い。
あとは受け取るばかりに用意された救いが私たちの前に差し出されている。
「ありがとう。」と言ってこの救いを受け入れるか?
「いらない。」と言って拒むか?
各自が答えを出すことを求められている。

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