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マイペースで行こう

東京都東久留米市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、20年目に入りました。

現実に向き合う

2007-10-22 16:29:24 | 教会の風景
礼拝説教より
「現実に向き合う 前編」

聖書箇所:創世記32:1-12

ヤコブの生涯のクライマックスとも言える場面に入る。
「あなたの故郷カナンに帰りなさい」という主の命令。
ヤコブは20年間生活をしてきた伯父ラバンのもとを離れて故郷へ向かう。
この時点で、ヤコブは大家族と豊かな財産を手に入れていた。

ここでヤコブは大きな現実の問題と向き合うことになる。
「カナンへ帰る」ことは、「兄エサウとの関係修復」を意味する。
20年前のこととは言え、殺意まで抱いていた兄に再会することになる。

兄エサウが400人を連れて迎えに出るという知らせ。
その時のヤコブの心境を聖書はこう伝えている。
「ヤコブは非常に恐れ、心配した。」

様々な憶測がヤコブの脳裏を行き廻る。
「兄は私と私の家族に20年前の報復をするのでは・・・」

だが、ヤコブはそのような状況下に置かれていたが、故郷へ帰るという計画を止めなかった。

むしろ、彼は自らの恐れと心配を祈りに変えた。
心の内をそのまま神様に訴えている。
「救い出してください。私は恐れています。」

また、幸せを約束された神様の言葉を引用して祈った。
「あなたはかつて・・・と私に言われました」

ヤコブは自分の置かれた状況を把握して、その切実さと緊張感を祈りという形で神様に表現した。

私たちもそれぞれ置かれた環境、立場は異なるが、何らかの問題、課題を抱え、ストレスを感じている。
しかし多くの場合、問題に取り組む勇気を持てず、曖昧な態度で現実逃避をしてしまうことがある。
「神様に委ねていますから」「主のみこころがなりますから」という言葉を安易に使うことで、自分をごまかしてしまう。
残念ながら、本当に「神様に委ねている」と確信を持てるほどまでに最善を尽くしていないことが案外多い。
聖書の登場人物やキリスト教史上に名の残る聖徒たちのように、「目の前の状況のために切実に祈り、主に近づく」ということはほとんど稀である。

主が私たちのために与えてくださった「祈り」。
それは、現実に向き合うからこそ私たちの内に生まれてくる。
教会のなかに切実な祈りがないとするならば、現実に向き合っていないからではないだろうか?
どうか主から与えられた課題、問題に私たち自身の目が開かれますように。
本来向き合うべき現実を見つめる勇気を持てますように。
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