辛口の中にも愛を!!ビデオグラファー愛

赤ちゃんから皇室を撮るカメラマン
そんな自身の創意と意志を伝えるブログ

魔の1989年から1990年 ある意味、稚拙な自分だったのか。

2016-09-07 07:01:46 | 会社経営
とにかく、気楽な学生生活から飛び出して
自分本位の手腕が問われた年でした。

これからどうする?

バイトのままでいいのか?

仕事は何をするか?

資格は何をとる?

と、所詮、バイトだったので大金もなく
車の免許を取得するためしばらく教習所に通う毎日。

近所の黒猫ヤマトで仕分けの早朝バイトをしていた
毎日をしばらく過ごしていた。

でも、早朝とあって時給が当時 1800円くらいだったんですよね。
まぁ、時間も4時間くらいだったから、たかが知れていましたが。。。

毎日 5時にセンターに集合して
センター長がカギを開ける、配達の地区担当者が
出勤前に地区ごと 配達順番に区分けする。

結構、面白かったし、だんだん手馴れてきて
最初はフルに4時間くらいかかっていたが
慣れてくると、1時間程度でおおむね終わる。

余裕が出てくると 後半の3時間は
センター長と雑談したりして、有意義にかつ優雅に
バイト仲間と談笑しています。

こんなバイトも半年ほど続けた契約期間が終わる頃に、
センター長から、社員にならない? と、お誘いを受けました。

おー! と思った瞬間であり、
働きっぷりを認められた瞬間でもあった。

嬉しかったけど、丁重にお断りしてバイトも終了、
センター長曰く、仕事に困ったらいつでも戻っておいで
待っているからと、言われ、非常にうれしかった。

当時、アルバイトと言えども
即戦力として認めらるように全力で仕事した。

単純作業ではあったが、それなりに、現場で仕事をしていると
問題点も多かったので、私から提案してバイト仲間で考え実行、

短時間で多くの荷物を少数精鋭で
裁けたのは、段々と快感に変わってくる。

そんなこんなで1年を過ごす。

バイトもいろんなことをしました。

印刷会社でカレンダーの製版をしたり
ブルーカラー系が大変だったが
面白おかしく、時に社員に激怒されながら
バイトに集中したとしだった。

でも、自慢ではないが、
バイト先では必ず、「社員に成らない」と言われることが多かった。

ブルーカラー系の仕事は、当時もなり手が少なかったが、
いつも全力で仕事をする私の姿と姿勢を
みてもらえたからだと感じる。

仕事は違えど、

昔も今も、常に仕事への取り組み方は
変わらないし、変えられない。


考えて、少し先を見越した
経営者でありたいものだ。

B-ing って雑誌ご存知ですか?

2016-09-07 06:45:04 | 日本の情景
滅茶苦茶、懐かしー!

B-ingですよ!

今 DODAに変わり タウンワークとか街の求人誌に
とって代わってますが、元祖 求人誌。

この雑誌ねー。
毎週 金曜日発売で高校卒業して
フリーターを謳歌しているとき
毎週買って、毎週小田急線に乗って
面接言っていたもんなぁー。

正確に言うと、高校卒業する間近にも
購入していて、進路先をこれで探して
いたんです。

当時、売り手市場で家電メーカーが最高の時で、
三鷹のパナソニックが求人を出していたので
そこに面接に行きました。

で、結構いい感じに即答で採用が決まり、
正式に勤める直前までたどり着きましたが、
結局、地方公務員への道を進み数か月で
辞職しました。

当時、求人誌も多彩で
OLさん向けの求人誌、とらばーゆ なんていうのも
ありましたから。。。

売り手市場だった当時は、
転職してなんぼ、の世界。

私も転職に転職を重ね、行きついたところは
自営業として仕事を請け負うスタイルとなりました。

やはりねー、今後、どうなるかはわからないけど、
中学 高校 大学と選択幅は多いけど、
就職と併せて、自営への道も
進路として子供たちに教える必要があると思う。

まぁ、工業 商業 高校では簿記とか教えるが
もっと、根底にある仕事への取り組み方、
自身のやりたい事など踏まえた
自由な選択がもっと広くてもいいと思う。

専門学校行かせても、本当にその道のスペシャリストに
なると限らないし、無駄な時間を過ごすなら
高校卒業後、いろんなことをフリーランスで経験して、
最終目標を持つほうが、何倍もいいように感じる。

うちの子供も、そのうち進路選択を迫られるけれど、
私としては心の準備ができているし、
バカやってきた分、的確にアドバイスできると思う、
大体、警察官をしててカメラマンになった輩って
そうそう居ない。

バカやってきた時代が、
無駄にならず良かったと感じる瞬間だ。