辛口の中にも愛を!!ビデオグラファー愛

赤ちゃんから皇室を撮るカメラマン
そんな自身の創意と意志を伝えるブログ

松武秀樹氏の「ゼロから音を作る」を拝聴して思う事、感じる事

2016-09-26 00:21:47 | DTM
日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ
× Red Bull Studios Tokyo
「マニピュレーターズ・カンファレンス」


と、題して第2回目は、松武秀樹氏をゲストに迎え
冨田勲先生の魅力を語る会が開催された。
場所は、渋谷のレッドブルスタジオで開催。
多くのシンセファンが集結した。

冨田先生いわく、音作りには「設計図」が不可欠と位置づけ、
完成するイメージを明確化して作品作りをしている事と、
日々、新しい技術をすぐに取り柄入れた事。
面白い事、新たらしい事に関してアンテナを張り巡らせる中、

突飛な構想を持ち続けたことを、お亡くなりになる
まで持ち続けていたことに、先生の偉大さ、繊細さを強く感じた。

1960年は特に作曲者として多忙な時期で、
シンセサイザーというブラックボックスを
購入して音の出し方を研究して作品を作り上げる過程を
先生を師匠と仰ぐ松武氏のお話は興味深い。

音の基礎系となる「ノコギリ波」「ホワイトノイズ」を
音色にする過程は、当時、楽器としての認識の無い
電気回路の集合体である「MOOG」を配線して録音する
光景は凡人には想像がつか無い。

現在は、パソコンで当時以上の事ができる。

録音にしても、40年前はやっと4チャンネルから
8チャンネルのテープレコーダーが世にで始めた頃である。

録音するタイミングも、「ドンカマ」という
「カッ カッ」と金属音を耳で聞きながら
手動でテープスピードを合わせていた時代である。

そんな時代の作品であるが、現在のシンセ音楽の
原点として、色あせる事なく冨田先生の作品が
強く残る。

そんな冨田先生のDNAを次の世代に残したいと
語っていた松武氏の表情も印象に残る。
途中、松武氏が冨田先生を思い出して
涙ぐむ場面もあり、講演を最前列のど真ん中で聞く私も含め
ピンと空気が張り詰める。

私は音楽家では無いけど、

そんな冨田先生の作品作りへの探究心と
松武氏のエピソードを聞くと、「クリエイターである以前に、
時代の開拓者として、いかにして未来を設計するか」を
見据える大切さをひしひしと感じるのであった。

電気回路の知識も大切だが
未来を切り開くには、どのような心構えで
「現在をどう生きるか」という事も
今回の講演で悟る事ができた。

現場に穴を開けた事が無いのも自慢である。

2016-09-26 00:10:10 | ビデオ制作
天変地異でも遅刻する事なく
現場に到着するのが、最低限のルールと定義付けしている。

電車ならグリーン車を使う事も惜しまず、
新宿のカプセルホテルへ宿泊してまでも
現場へ臨む意気込みを持つ。

まぁ、台風や大雪では交通機関が止まる事があるが、
この「交通網の麻痺」を取材する事も少なく無いので、
カメラマンたるもの、移動手段の選択方法と
宿泊を惜しまない。自腹が大半である。

機材準備も自身で確認したいので
余裕を見てプロダクションもしくは
スタジオ入りする。
兎にも角にも、取材する側が取材対象になら無い
事も心得ているので、その仕事が長続きする様にも感じる。