![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/60/24683ce6e29c517f10c4b85a1ea39a84.jpg)
こちら、少女時代のマリア・テレジアの肖像。
あんまり可愛く描かれていたもので掲載。。
(絵は部分図です。)
軽いミーハー心も手伝って、ファンだということを認めなければなりますまい。
マリア・テレジアは女帝といわれますが、
神聖ローマ帝国は女子が皇帝となることを認めていなかったため、
正確な立場は、ハプスブルク世襲領の女主ということになります。
彼女の父君、カール6世は神聖ローマ皇帝として帝国の最大版図を築きましたが、
嫡男に恵まれず、長女マリア・テレジアを相続人とすると順位法を発布しました。
しかし、いざカール6世が倒れると、
女性が帝冠するのを認めず、ハプスブルクは断絶したとして、
プロイセン、フランス、スペイン、バイエルン、ザクセンらが戦争を仕掛けてきます
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ヨーロッパ各国のみならず、新世界をも巻き込んだ一連の動きは、
オーストリア継承戦争として語られます。
(世界史の授業を思い出しますね…。)
当時のプロイセン王は、こちらの記事のフリードリヒ大王です。
本当かどうかはさておいて、大王には「女嫌い」のイメージがつきまとい、
ロシアのエリザヴェータ女帝やフランスのポンパドゥール夫人とも敵対することになるも、
現在では、ゲイ・カルチャーにおいて、おおいにリスペクトされています。
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フランス国王、ルイ15世(1710-1774)。
1744年にオーストリア領ネーデルラント(現在のベルギー)に侵攻しますが、
マリア・テレジアの親仏政策により、オーストリアの強力な同盟国となります。
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スペイン王フェリペ5世(1683-1746)。
フランス、ブルボン家出身。
スペイン継承戦争をくぐり抜け、スペイン・ブルボン朝を開いた人物です。
北イタリア、ミラノ領をめぐってオーストリアと対立しました。
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バイエルン選帝侯、カール・アルブレヒト(1697-1745)。
秘密同盟を盾にフランスとともにオーストリアへ侵攻し、
1742~48年の間、神聖ローマ皇帝カール7世を名乗ります。
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ザクセン選帝侯、フリードリヒ・アウグスト2世(1696-1763)。
ハプスブルク家領であったベーメン(ボヘミア)の継承を主張してベーメンに侵攻。
しかし、後年はマリア・テレジアとともに、対プロイセンの立場をとります。
マリア・テレジアは、ハンガリーとの同盟を取り付け憤然と戦いぬき、
夫をフランツ1世として神聖ローマ皇帝に即位させます。
その後、実質的な女帝として国を安定させ、近代化を推し進め、
またロレーヌ公子息であったフランツ1世とのあいだに16人の子どもをもうけ、
婚姻によって隣国との同盟を強化していきます。
まさに国の母というべき人物です。。
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マルティン・ファン・マイテンス《フリードリヒ1世の肖像》ウィーン美術史美術館、1745年。
夫君フランツ1世は妻の影に隠れがちですが、
財務関連に手腕を発揮し、戦争で疲弊した国庫を立て直した他、
自然科学や古代研究に大変興味をもち、貴重なコレクションを遺しました。
これらのコレクションについては、こちらの記事をご覧ください。
さて、マリア・テレジアの表象という観点からみると、
幼少期~少女時代にみる肖像画が可憐で愛らしい、ほっそりした姿なのに対して、
政治に携わるようになってからは、非常に恰幅の良い、堂々とした姿に変わっています。
これは、もちろん実際の容姿の変化ということもあるのでしょうが、
押しも押されぬ君主の姿を示す必要があったということも十分に考えられるでしょう。
また、女帝の肖像画が出まわることによって、それを見た人々が、
貴婦人を敬愛し守るという、騎士道精神を揺さぶられたのやもしれませぬ。。
その後のマリア・テレジアの肖像については、後の記事でアップしますね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
…華々しい戦果や功績も、被支配地や被植民地を考えると、
うむむ、少し複雑ではあります。