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シリア・イスラム戦線

2018-01-23 23:19:05 | シリア内戦

 

今回のテーマ「シリア・イスラム戦線}は2013年11月に成立したイスラム戦線の前身であり、約一年前に成立した統一戦線である。

 

20129月シリア・イスラム解放戦線が成立した。3か月遅れて、1221日シリア・イスラム戦線が成立した。両者の名前は似ている。イスラム諸派の統合に失敗したため、一字違いの名前を持つ2つの統一戦線が生まれたためである。最初にできたシリア・イスラム解放戦線についてはこれまで書いてきた。イスラム解放戦線の中心敵なグループであるスクール・シャムはアフラール・シャムと並ぶ有力なグループだった。しかし2014年以後、ヌスラ戦線やISIS強大になり、スクール・シャムは競争に敗れて弱体化した。

イスラム解放戦線のナンバー2であるファルーク旅団もスクール・シャムに劣らず有力なグループであり、シリア各地のグループを従え、広域ネットワークを築いていた。彼らはトルコ・シリア国境の検問所のうち最も重要な2か所を支配していた。ファルーク旅団の本拠はホムスにあり、革命の聖地ホムスの支配者であることが彼らの威光を高めていた。20137月ホムスの反対派は一掃され、ファルーク旅団は急速に勢力を失った。

今回はイスラム解放戦線に3か月遅れて成立したシリア・イスラム戦線について、ウイキペディア(英語版)を訳す。シリア・イスラム戦線の中心的なグループはアフラール・シャムである。彼らは優勢なヌスラ戦線やISISにも対抗し、自らの存在を維持し続けた。

 

======《The Syrian Islamic Front》========

                 wikipedia

20121221日、11のイスラム主義グループが連合し、シリア・イスラム戦線が成立した。それぞれの組織は独立を維持したまま、協力を緊密にすることを約束したものであり、連合が一体性を強めるか、ばらばらになるかは予断を許さない。

シリア・イスラム戦線の中心的なグループはアフラール・シャムであり、残りは以下のぐるープである。

①ハク旅団(Al-Haqq Brigade);ホムス

②ファジル・イスラム運動( Al-Fajr Islamic Movement);アレッポ

③アンサール・シャム(Ansar al-Sham);ラタキア

④ジャイシュ・タウヒド(Jaysh Al-Tawhid);デリゾール

⑤ハムザ・ムッタリブ旅団(Hamza ibn ‘Abd al-Muttalib Brigade);ダマスカス

参加メンバーは対等という条件に、アフラール・シャムは不満だったようである。彼らは統一戦線を指導するのはと自分たちだと考えていた。

結成間もない翌20131月、いくつかのメンバーが改名を宣言した。新しい名前はアフラール・シャム・イスラム運動(The Islamic Movement of Ahrar al-Sham)である。他のメンバーは怒ったが、解散には至らなかった。そしてシリア・イスラム戦線という元の名前が使われ続け、定着した。

20134月新メンバーが加わった。ハマ県のハク旅団集合(Haqq Battalions Gathering)である。
ハク旅団集合は20138月ハマのいくつかの原理主義グループによって結成された。中心メンバーはリワ・ムジャヒディ・シャム( Liwa Mujahidi al-Sham)である。彼らはシリア・イスラム戦線の重要なメンバーになった。

201389日アフラール・シャムの指導者ハッサン・アブードがイドリブ県のラム・ハムダンで死んだ、とシリア人権団体が伝えた。

シリア・イスラム戦線はシリアの広い地域において影響力を確立した。シリア・イスラム戦線とその中心的なグループであるアフラール・シャムは資金の多くを支配地における人道的・社会的な活動に費やした。例えばイスラム的な教育活動や食料・水・燃料の支給である。これらの人道的活動の経費の一部は、IHH人道的救援基金(トルコのNGO)やカタール慈善団体によって支給されている。

2013年シリア・イスラム戦線の指導者ハッサン・アブードはアルジャジーラに出演しインタビューに答えた。彼は初めてメディアに登場し、本名を明かした。
「新規参入者に軍事訓練とイスラム教育をほどこすため、我々はシリア全土に訓練所を持っている。このほかに、有望な人材が指揮官になるための訓練所もある。数十のグループがシリア・イスラム戦線に参加したいという要望を述べている」。
シリア・イスラム戦線の設立宣言には、次のように書かれている。「イスラムの教えを厳格に守り、アサド政権を倒し、全シリア人のための国家を樹立する。新国家はイスラム法によって統治されるイスラム教国となる」。

イスラム戦線は湾岸の厳格なイスラム・スンニ派から資金と援助を得ている。有名な資金提供者は次の3名である。

①クェートの説教師Hajjaj al-Ajami

②サウジ在住のシリア人説教師Adnan al-Aroor

③クェートの政治家 Hakim al-Mutayri

イスラム戦線は厳格なイスラムを信奉しているが、ヌスラ戦線より穏健であり、シリア国民の間で広い支持を集めている。

2013821+を受けた時、米国はシリア攻撃を攻撃を考えた。この時イスラム戦線は米国の軍事介入に反対し、95日インターネット上で声明を出した。

「欧米によるシリアへの軍事干渉を、我々は拒否する。これはムスリムに対する新しい侵略であり、米国に利益をもたらすだけである。アサド政権を倒そうとしている人々の利益にはならない」。


2013
11 22 日シリア・イスラム戦線に所属するグループのリーダーたちは新しい統一戦線「イスラム戦線」の結成宣言に参加した。これまでイスラム諸派は2大グループに分かれていたが、両者が歩み寄りひとつにまとまった。

2大グループの一つはこの記事のテーマであるシリア・イスラム戦線であり、もうひとつはシリア・イスラム解放戦線である。
新しい統一戦線の誕生にともない、シリア・イスラム戦線はネット上で解散を表明した。
====================(wikipedia終了)

2013821日シリア軍がダマスカスのグータ地区にサリン弾が撃ち込まれた。これを理由に米国はシリア攻撃を準備していた。これに対し、シリア・イスラム戦線が米国の軍事介入に反対の意を表明したことを知り、私は驚いた。反対派は米国の軍事介入を望んでおり、そのきっかけが欲しかった。反対派はそのきっかけをつくるため、ダマスカスでサリン弾を使用した、という説は根強かった。

反対の最大勢力であるシリア・イスラム戦線が米国の軍事介入に反対していたとすれば、反対派による陰謀説は根拠を失う。

20138月の時点でイスラム諸派は一つにまとまってはいないが、少なくとも2つの統一戦線が出来上がっている。自由シリア軍の時代は終わり、反対派とはイスラム諸派を意味するようになっている。統一戦線のひとつであるシリア・イスラム戦線が米国の軍事介入に反対の意を表明した意味は大きい。「反対派は米国の軍事介入を望んでおり、そのきっかけを作るためにダマスカスの郊外でサリン攻撃を行った」という主張が否定されるからである。

 

シリア・イスラム戦線が米国の軍事介入に反対したことは事実であるが、必ずしも本心ではなく、建前に過ぎず、本心では米国の軍事介入を望んでいたようだ。現実問題と必要と建前との矛盾がある。シリア・イスラム戦線のイデオロギーは反欧米・反近代・イスラムへの回帰である。

米国に頼ることはイスラムとアラブへの裏切りである。アサド政権は欧米からの自立を貫き、その結果国際的に孤立した。このことはアラブ世界では高く評価されてきた。シリア・イスラム戦線が米国に頼るなら、アサド政権以下になってしまう。

20138月のダマスカスのサリン事件について、米国はシリア軍の犯行と断定したが、反対派の陰謀という主張もそれなりに説得力がある。私は検証を試みたが、結論に至らなかった。現地の状況を提示するだけで終わった。

ただ一つだけわかったことがある。これは戦争中に起きたことである。オバマ政権は人道的な理由を前面に出しているが、これはまやかしに過ぎない。米国にとって大事なのは国益であり、シリア攻撃の真の理由は国益であり、人道的な理由は口実に過ぎない。米国が人道的な立場で行動しているなら、内戦の終結を第一に考えるはずである。しかしアラブ世界における米国の信用失墜という形の戦争終結を、米国は絶対に受け入れられない。米国は自国の威信を損なわない形での戦争終結に固執する。

一方アサド政権は生き残ること以外、考える余裕がなく、そのためには何でもする。政権が倒れれば、政権の重要人物は死刑である。万一亡命できたとしても、オサマ・ビン・ラディンのように家に閉じこもる生活であり、最後に暗殺されるかもしれない。

アサド政権としては、米国の介入の口実となる化学兵器の使用は避けたいが、現地の戦況によりやむを得ず使用したかもしれない。

シリア軍は航空攻撃に加え、ミサイル・戦車・重砲などの攻撃手段を有しており、圧倒的に優勢である。ただし最後は歩兵が進出しなければならない。地下に隠れていた反対派に狙撃される危険がある。空爆や砲撃は地下を破壊することはできない。1年半の戦いにより、シリア軍の歩兵の数は目に見えて減っている。シリア軍の歩兵部隊は徐々に消滅に向かっている。クサイル・ホムスで戦った歩兵部隊はレバノンのヒズボラである。ダマスカスのグータ地区の反対派の支配地に進出する際、歩兵の犠牲を出さない目的で、シリア軍はサリン攻撃をしたのかもしれない。

米国にとっても、アサド政権にとっても人道的な問題は2次的な重要性しか持たない。両者の一次的な重要性とは勝利することである。

サリン攻撃をしたのは誰かという問題に、私が興味を失ったわけではなく、犯人についての決定的証拠が世に出る日を待っている。

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