自由シリア軍は一つにまとまることに失敗したが、イスラム主義グループは2012年秋以後かなりのまとまりを見せた。ここではイスラム主義グループから、ヌスラ戦線を除く。ヌスラ戦線の活躍は目覚ましく、最強のイスラム主義グループであるが、これについては機会があったら書きたい。ヌスラ戦線に続くイスラム主義グループがいくつかあり、それらを中心に多数のグループがまとまれば、人数の点ではヌスラを超える大勢力となり、戦闘力の点でもヌスラに匹敵するものとなる。
2012年9月シリア・イスラム解放戦線が結成された。これはスクール・シャムを中心に、主要なイスラム主義グループを統一する試みだったが、アフラール・シャムの取り込みに失敗し、統一は実現しなかった。それでもイスラム解放戦線は数万の戦闘員をかかえる大きな軍団だった。イスラム解放戦線の中心的なグループであるスクール・シャムはアフラール・シャムやリワ・イスラムに匹敵するグループであるが、あまり知られていない。リワ・イスラムについては「ダマスカスのサリン事件」で書いたので、これからスクール・シャムとアフラール・シャムについて書く。イスラム解放戦線にリワ・イスラムは参加したが、アフラール・シャムは参加しなかった。
イスラム解放戦線の結成から3か月後、2012年12月21日、アフラール・シャムを中心とするシリア・イスラム戦線が成立した。
イスラム主義者たちは一つにまとまることができず、2大グループに分裂した。
この分裂は状態は約一年続き、2013年11月22 日両者は合流した。新しい統一戦線の名は「イスラム戦線」となった。統一前の両者の名は、既に述べたが、紛らわしいので再び書く。
①シリア・イスラム解放戦線(中心;スクール・シャム)
②シリア・イスラム戦線(中心;アフラール・シャム)
先ず、①のシリア・イスラム解放戦線について書くことにしたい。ういきう
ウイキペディア英語版にイスラム解放戦線の項目がある。
===== 《Syrian Islamic Liberation Front》======
2012年末シリア・イスラム解放戦線は反対派の中で最も戦闘力のあるグループのひとつだった。反政府武装勢力の半数を占め、数の上では最大だった。
20のイスラム主義グループの指導者たちが秘密の協議を重ねた末、2012年9月イスラム解放戦線が結成された。スクール・シャム旅団の指導者がイスラム戦線の指導者となった。彼の正式な名前はアフマド・イッサ・シェイクであるが、通常アブ・イッサと呼ばれている。シリア各地の20のグループがまとまとまり、数万の戦闘員からなる大部隊が成立した。
イスラム解放戦線の指導者アブ・イッサは次のように述べた。
「我々は自由シリア軍と良好な関係にあるが、彼らに全面的に支援ことはない。自由シリア軍の指導者はトルコに住んでおり、戦いを直接指導していないのは問題だ」。
イスラム解放戦線には、スクール・シャムに劣らず活発に活動しているグループが参加している。
①ファルーク旅団(ホムス)
②リワ・イスラム(ダマスカス)
③タウヒド旅団(アレッポ)
④デリゾール革命会議
⑤タジャモ・アンサール・イスラム(ダマスカス)
⑥ Ibn al-Aas Brigade( (アレッポ)
⑦ al-Naser Salaheddin Brigade (ラタキア)
これらのグループは地理的に互いに離れており、規模の点でも影響力の大きさでもまちまちである。また彼らの支援者もそれぞれ異なっている。
イスラム解放戦線の指導者アブ・イッサは武器の出所について次のように述べている。
「我々は政府軍から武器を手に入れている。または国内と外国の武器商人から武器を買っている」。
しかし彼らはトルコとカタールによって支援されているようだ。
「イスラム解放戦線がトルコ経由の武器を独占し、解放戦線に属さないグループを無力化しようとしている」と、自由シリア軍は非難している。
イスラム解放戦線はイスラム教スンニ派を信奉しており、ムスリム同胞団系やイスラム原理主義系のグループを含んでいる。しかし真に過激なグループはシリア・イスラム戦線に参加している。
イスラム戦線の中心的なグループであるアフラール・シャムは最初解放戦線に参加したが、リーダーの一人が解放戦線に殺害され、すぐに離脱した。比較的穏健な解放戦線が過激なグループのリーダーの一人を殺害したのである。解放戦線はアフラール・シャムを引き留めようと試みたが、無駄だった。
イスラム解放戦線はイスラム主義の国家の樹立を目標として入るが、かなり現実的であり、シリアが多民族国家であるという事実を受け入れており、「少数民族を排斥しない」と約束している。
また「宗教的なイスラム法は理念として尊重されるが、現実的な法律とはしない」としている。
「これは2段階戦術に過ぎず、イスラム解放戦線の最終目的はイスラム国家の樹立であり、彼らの本質はアルカイダと同一である」と、自由シリア軍は批判している。
==================(ウイキペディア終了)
イスラム解放戦線の中でナンバー2のファルーク旅団に以前所属していた人物が変なことで有名になった。殺害した政府軍兵士の心臓を切りとったのである。この蛮行をおこなったのは自由シリア軍ということになっているが、実はファルーク旅団の元戦闘員であるようだ。この事件が起きたのは2013年5月12日である。ファルーク旅団はホムスを拠点としており、当然クサイル戦に参加している。心臓切り取り事件の一週間後(5月19日)、反対派はクサイルから一掃された。
心臓切り取り事件について、 AFP(日本版)は次のように書いている。
==《 シリア軍兵士の「心臓を食べる」反体制派、動画がネットに》===
<http://www.afpbb.com/articles/-/2943857>
【2013年5月14日 AFP】
シリア反体制派の戦闘員が、政府軍兵士の遺体から心臓を切り出して食べる様子を写したとみられる映像が、インターネットに投稿された。
YouTube)に投稿された映像では、戦闘員の1人がぼかし処理された遺体にかがみ込み、心臓を切り取りながら、バッシャール・アサド政権の兵士たちに向け「おまえたちの心臓と肝臓を食べることを、われわれは神に誓う」と述べている。
映像の中で自由シリア軍に所属するとされているこの戦闘員は、片方の手に短刀、もう片方の手に心臓を持ち立ち上がる。そして心臓を口に運ぶところで、映像は唐突に終わっている。
映像は「SyrianGirl War」という名のユーザーによって12日に投稿されたが、信ぴょう性は定かではない。
=======================( AFP終了)
若い日本人ジャーナリストによれば、蛮行をおこなった兵士はファルーク旅団に所属していたが、2012年10月分派を立ち上げたという。この時期ファルーク旅団は自由シリア軍と良好な関係にあった。ただし形式的に自由シリア軍に所属するが距離を置くという、微妙な関係だった。蛮行兵士がたちあげた分派と自由シリア軍との関係も同じだろう。
さくらぎ・たけしブログがこの事件について興味深い話を書いている
=======《バニアスでの虐殺-追加-》======
http://t-sakuragi.com/?p=650#more-650
TAKESHI SAKURAGI
投稿日時: 2013/05/16
先日、バニアスでの虐殺を取り上げました。宗派間の争いが激化している中で、ある映像が数日前に動画サイトに投稿されました。カニバリズム。そう呼んでいいのか分かりませんが、ホムス県のレバノンとの国境の町、クサイルでFSAの指揮官が政府軍の遺体から心臓と肝臓をほじくり出して、口にしました。実際に食したのかは定かではありませんが、単なるパフォーマンスにしては常軌を逸している行為であると、反体制派側からも批判の声が上がっています。
指揮官の名前はアブ・サッカル(ハリード・アル=ハマド)。彼が所属していた部隊がシリアの反体制派の主力であるファルーク旅団。しかし、去年の10月に除隊し、別の組織を彼自身が立ち上げた。オマル・アル=ファルーク旅団。彼の部隊は宗派間抗争が入り乱れるクサイルを拠点に戦果を上げた。レバノンとの国境沿いの町クサイルは武器の中継地としても反体制派として手放せない地域。政府側にとっても地中海に繋がるこのルートはアラウィ派の支持基盤を固める重要な砦になる。
ここはシーア派の村々が点在し、レバノンのヒズボラにとっても重要な地域であり、反体制派の進撃を食い止める必要がある。アブ・サッカルは宗派間抗争に積極的に関与しているとされる。映像からも彼のアラウィ派への憎悪が読み取れ、彼自身、レバノンのシーア派の村に迫撃砲を撃ち込んでいる。今回の映像に対し、反体制派側である自由シリア軍、反体制派国民連合はすぐさま非難声明を出した。しかし、人肉を食らうほどの憎悪とはどのようなものなのだろうか。
ただ、実際に映像を見ると、反吐(へど)が出ます。僕はアサド政権側には批判的です。だからといって、反体制派側に肩入れしているわけでもありません。両者共々、人権を無視した行動をしているのは事実ですし、その責任を擦り付け合うのもどうかと思っています。それで、バニアスの虐殺についての記事がNYTimesに出たので、少し補足します。
証言者が語ることで、バニアスの虐殺の様子も見えてきた。生後数ヶ月の赤ん坊に火を放つ。妊婦の腹から胎児を抉り出す。数人の子供と大人が血の海の中を折り重なるように倒れている。政府軍や民兵は民家を次から次へと捜索し、殺戮を繰り返した。ある男性はコンクリートブロックで死ぬまで頭部を殴られた。政府軍が引き上げた後、村人が外の様子をうかがうと、無数の遺体が路上に散乱していた。遺体はブルドーザーで集められ、身元確認もされることなく埋葬された。虐殺が起きた村の一つ、バイダでは決して大きな衝突はなかった。革命当初は平和的デモを繰り広げていたが、何度か政府軍に痛めつけられるうちに沈黙を守るようになった。この周辺はアラウィ派、スンニ派、キリスト教徒と宗教、宗派が入り乱れている。彼らは互いに「宗派間の火種を起こさないよう」気を使っていたのだろう。しかし、(2013年)5月2日に起きた政府軍と自由シリア軍の衝突が虐殺を引き起こした。
虐殺が起きた村の住人は「もうアラウィ派の人間は歓迎しない。彼らがシリアに住むことは許されない」と怒りを滲ませた。今回の虐殺の主導者が政府軍、シャッビーハ、一部武装したアラウィ派の一般市民であり、決して全てのアラウィ派の人間がこれほど残虐な行為を許容しているわけではない。しかし、宗派間の亀裂は修復不可能なレベルに達している。その亀裂は残虐性を帯びて、シリア全域に拡大している。
NYTimesの記事は異常です。
参考サイト
《クサイル攻防戦》
http://t-sakuragi.com/?p=675#more-675
TAKESHI SAKURAGI 投稿日時: 2013/05/22
先日、アブ・サッカルの話をしました。彼の蛮行は多くの非難を浴びました。彼自身はその後のインタビューで、「法の裁きを受ける覚悟はある。ただし、アサドと彼に従うシャッビーハも同じような裁きを受けなければならない」、「このままシリアで流血が続ければ、私のような人間はいくらでも現れるだろう」と述べています。その彼の部隊が展開している場所がホムス県のクサイルという町です。3日ほど前からクサイルでは双方による陣地の奪い合いが続いています。
双方とは体制派と反体制派です。体制派は政府軍とシャッビーハ、反体制派は自由シリア軍。それとクサイルでは体制派を後押しする強力な部隊も加わっています。ヒズボラです。ヒズボラがシリアの内戦に関与していることは以前から報道されてきましたが、小規模なものでした。しかし、クサイルが自由シリア軍の手に落ちて以降、シリア、レバノン領内のシーア派の村に迫撃砲が着弾するようになりました。死傷者も出る事態に危機感を募らせたヒズボラは(イスラエルの空爆にも神経を尖らせていたこともあり)盟友であるアサド政権を徹底的に支持することを誓います。
それが先月のヒズボラ指導者のナスラッラーの演説になります。そして彼の演説は今回のクサイル攻防戦へと繋がります。クサイルを自由シリア軍から奪還すれば、少なくとも国境沿いのシーア派の村が攻撃にさらされる心配はなくなります。同時にクサイルは首都ダマスカスとアラウィ派が拠点とする地中海沿いの地域一帯を結ぶ重要な町です。ここを潰せば、反体制派への物資の補給や人員の補充を厳しくなり、政府側にとっても今後の戦況を有利に運べるようになるのは確実です。両者の思惑が合致し、クサイルは火の海に包まれました。
==================(さくらぎブログ終了)