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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

4巻55ー57章

2023-05-19 18:48:44 | 世界史

 

【55章】

執政官は平民の運動を妨害する手段を取らなかったし、貴族から譲歩を勝ち取ろうとしている平民を助けもしなかった。貴族と平民の両方が一歩も引かぬという構えで争っていた時、まことに都合よく戦争の知らせが届いた。ヴォルスキとアエクイがラテン人とヘルニキ族の土地に侵入し、略奪を始めた。元老院が徴兵を命令し、執政官が徴兵を始めると、護民官が妨害した。護民官は宣言した。「我々護民官と平民にとって絶好のチャンスだ」。

頼りになる三人が平民の先頭に立っていた。三人は平民としては良い家族の出身だった。二人は執政官の動きを注意深く観察しており、もう一人は巧みな演説によって平民を煽動し、時には平民を抑制した。執政官は徴兵できなかった。護民官は勢いがあったものの、翌年の最高官を執政副司令官とすることはできなかった。最後に運命の女神は平民に味方した。カルヴェントゥムの砦を守っていたローマ兵が、略奪目的で分散した、と報告された。アエクイ兵が砦を攻撃し、わずかに残っていた守備兵を殺した。慌てて砦に戻ってきたローマ兵はアエクイ兵によって蹴散らされた。略奪を続けていたローマ兵は襲撃された。ローマにとって不幸なこの事件は護民官を有利にした。国家の危急時に徴兵を妨害しないよう、執政官は護民官を説得したが、無駄だった。国家に危険が迫っているにもかかわらず、護民官は徴兵に反対した。護民官は人々から憎まれたが、気にしなかった。その結果元老院が譲歩することになり、翌年の最高官を執政副司令官とした。しかし同時に元老院は現在の護民官は翌年の執政副司令官に立候補できないと制限を加えた。また現在の護民官は翌年の護民官にもなれないとした。元老院が立候補の資格を奪いたいたかったのは、間違いなく、イキリウス家の三人だった。三人は護民官として功績があり、報償として翌年は執政副司令官になり、その後執政官にさえなろうとしている、と元老院は疑っていた。このような制限条項はあったが、平民は徴兵を受け入れた。徴兵が完了し、戦争の準備が進められた。執政官二人がカルヴェントゥムの砦に向かうべきか、一人はローマに残って選挙を管理すべきか、政府は迷った。カルヴェントゥムの砦を奪われたローマの守備兵は砦を包囲したが、包囲が不完全なまま時間だけがが経っていたので、もうカルヴェントゥムの砦を放棄すべきだった。 ローマ兵はカルヴェントゥムの砦を奪われたものの、ヴォルスキとアエクイの土地を大規模に略奪し、大量の戦利品を獲得した。それだけでなく、彼らはヴェッルゴを奪回していた。

(日本訳注:ヴェッルゴはヴォルスキの町だったが、前445年にローマに征服されたが、422年ヴォルスキが奪回していた。前409年、再びローマがヴェッルゴを征服した。ここで述べられているのは409年の再征服である。ヴェッルゴはラテン地域とヴォルスキ地域の境界にあったことしかわからない。)

【56章】

この時ローマでは、平民がが翌年の最高官を執政副司令官とすることに成功したが、選挙の結果は元老院の勝利となった。多くの人の予想に反し、選ばれた三人は貴族だった。C・ユリウス・ユルス、P・コルネリウス・コッスス、C・セルヴィリウス・アハラが執政副司令官となった。貴族が巧妙な選挙戦術を使ったと言われている。貴族が卑劣なやり方をした、とイキリウス家の三人は批判した。貴族は不適格な平民を多数立候補させた。これらの候補者の中に、下劣な性格で悪名高い連中がいたので、人々はうんざりした。このことが、選ばれるにふさわしい立派な平民の候補者たちに悪影響を与えた。人々の心が平民の候補者から離れたのである。

選挙が終わった頃、ヴォルスキとアエクイが全力で戦争を準備している、という報告がもたらされた。カルヴェントゥムの砦を保持できていることで、彼らは自信を得たのかもしれなかった。また彼らはヴェッルゴで分遣隊隊を失ったので、復讐心に燃えているのかもしれなかった。ヴォルスキを戦争に向かって煽動していたのはアンティアテス家の人々だった。彼らはヴォルスキとアエクイの諸都市を回り、臆病な市民を責めた。「昨年諸君が城壁に隠れて、こそこそしてい

たので、ローマ兵は至る所で諸君の農地を荒らし、ヴェッルゴの守備隊は全滅した。それだけでなく、ローマはヴェッルゴに植民者を送り始めている。ローマはフェレンティヌムのヘルニキ人にも土地を与えている」。

演説を聞いた諸都市の市民は戦争を決心した。多くの市民が兵士となった。彼らはアンティウムに集結し、基地を設営して敵が来るのを待った。こうした動きががローマに伝わと、市民は実際よりも大きな脅威を感じた。元老院は直ちに独裁官の任命を命令した。危険に直面したローマが最後に頼るのは独裁官だった。しかし執政副司令官のユリウスとコルネリウスは非常に怒った。元老院と執政副司令官は真っ向から対副司令官を批判した。彼らは「元老院と争っても無駄だ」とと自信くぉ持っていた。彼らは護民官に働きかけ、護民官の権限を用いて執政副司令官を抑え込むことにした。以前も元老院は護民官を利用して執政官を抑制したこことがあった。護民官は貴族の分裂に喜んだ。護民官は元老院を助けるつもりはなかった。元老院は平民をローマ市民とみなしていなかったし、人間とさえ見ていなかったからである。国家の名誉ある地位が平民にも開かれ、平民が政府に参加できるなら、傲慢な執政副司令官が元老院の決定を無効にするのを妨害してもよいだろう。法律を尊重しない元老院の指導者は護民官の援護なしに執政副司令官と戦わなければならない。

【57章】

元老院と執政副司令官の争いは最悪な時期に起きた。大きな戦争が迫っていた。ユリウスとコルネリウスは長い演説をした「我々にはは戦争を指揮する能力が充分ある。人々が我々に与えた任務を取り上げるのは不当である」。

三人目の執政副司令官アハラ・セルヴィリウスが議論に加わった。

「私はこれまで、同僚と元老院の論争にについて何も発言しなかったが、内心疑問を持っていた。自分の利益と国家の利益を区別できる者が真の愛国者であるが、どうすれば可能だろうか。私の同僚の二人が自発的に元老院の権威に屈するだろうと、私は期待していた。護民官をこの問題に干渉させるのは筋違いだった。事情が許せば、同僚たちが自ら引き下がるのをもう少し待つのがよいかもしれない。しかし戦争は我々の議論が終わるのを待ってくれない。私にとって大事なのは、同僚の善意より、国家の安全だ。それゆえ、元老院が決定を取り消すつもりがないなら、私は明日の夜、独裁官を指名する。もし元老院の決定に対し拒否権が行使されるなら、私は受けいれる用意がある」。

アハラ・セルヴィリウスの主張にすべての人が賛同し、P・コルネリウスが独裁官に任命された。アハラが騎兵長官に任命された。アハラの控え目な態度は、彼の同僚に良い教訓を与えた。高い地位と人々の賞賛は、時にそれを求めない者に与えられるのである。ローマ軍はアンティウムで簡単に勝利し、多くの敵兵が死んだ。ローマ軍はヴォルスキの領土を

略奪した。さらにローマ軍はフキヌス湖の近くの砦を襲撃し、ヴォルスキ兵三千人を捕虜とした。

日本訳注:フキヌス湖はヴォルスキ地域の北東端にあり、ローマからかなり遠く、アペニン山中にある。現在はアドリア海側の州、アブルッツォ州の湖となっている。)

残りのヴォルスキ兵はいくつかの城壁のある町へ逃げ込んだ。ローマ兵は彼らの農地を荒らした。独裁官は幸運を最大限に利用してから、ローマに帰った。容易な勝利だったので、栄光はなかったが、大きな勝利を獲得し、独裁官は辞任した。多くの元老が翌年の最高官を執政官にするよう要望したが、執政副司令官はこれを拒否し、翌年の執政副司令官の選挙を命令した。執政副司令官は独裁官の任命をまだ恨んでいたからに違いない。貴族階級に属する者が貴族の大義を裏切っているので、元老たちは不安になった。元老たちは昨年と同じように巧妙な選挙戦術を使い、平民の候補者を落選させることにした。品性の悪い平民を立候補させて、平民の候補者全般の印象を悪くする一方で、有力な元老が立候補した。元老の候補者はあらゆる方法で自分の優位を際立たせ、広範な影響力を行使した。その結果、平民は全員落選し、貴族だけが当選した。彼らは全員過去に最高官になったことがあった。執政副司令官になったは、C・ヴァレリウス・ポティトゥス、N・ファビウス・ヴィブラヌス、C・セルヴィリウス・アハラの四人である。セルヴィリウス・アハラは昨年執政副司令官として評判がよく、今年も選ばれた。彼の控え目な性格とその他の長所は人々の信頼を得ていた。

 

 


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