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5月の連休後
一度訪ねてみたかった 台湾台南に位置する
烏山頭ダムへチャンスがあったので訪問した。
台北から新幹線で1時間半、そこからバスで1時間弱
八田興一記念公園に着く
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八田興一
彼は台湾史上もっとも有名な日本人で石川県出身
そう!知る人ぞ知る郷土の偉人
戦前1920年に八田興一は台湾嘉南に渡り灌漑事業を行い
不毛の地であった場所を麦・米・畑の三毛作を可能とさせた。
戦前のあの時代
空からの測量等考えられない時代にどうやって
この広い広い山を含めた水系を探り当て
水をダムへ引いてきたのか。
実用に耐えうるものを造り初めて世に貢献できる
という大学時代の教えを生涯実践してきた人である。
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彼の妻は16才年下の同郷人
8人の子供たちに恵まれ、台湾で共に気丈に暮らしていたが
八田興一が戦争の激化に伴いフィリピンへ赴く途中船上で命を
落したのを悲しみ、彼が心血を注いだダムへ身を投げたという。
(地球の歩き方より一部抜粋)
戦前の台湾で16才の少女が生活を始めるその気丈さ
八田興一がすべてであっただろう青春時代
彼が命を落としたとわかったあと、性格がガラッとかわり
暗い人となったいう。精神的拠り所を失い後を追ってしまった心境
その時彼女は34才位
ダムが見える丘に八田興一の銅像
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毎年八田技師夫妻墓前祭が行われているようだが
平成25年には子供を抱えて夫の帰りを待つ姿の奥さまの像が建立された。
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自分達や日本人関係者以外の作業員たちも含めた
住宅も建て長期に渡る工事作業のために厚生施設を含めた
村を作ったと聞く
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横に立っている人は奥さまの像を作成した彫刻家
実はこの彫刻家の方が金沢でのテニスチームのメンバーで
今回案内をかって出てくださった。
詳しい説明付きで見学できたのも彼のおかげ
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謝謝!