、徳川家康が築城した浜松城の西北の一隅に「作左山(さくざやま)」と呼ばれた小高地があった。あったと言うのは、現在は浜松中部学園(小・中)の校地の中に、所在位置を推定するしかないからである。元々、家康が城を築く前は、三方原台地上の小さなコブ(突起)に過ぎなかったのだが、城の東北側の低地から見れば標高差約30mの山(丘)に見えたのだろう。築城後、そこには兵糧蔵・煙硝蔵が置かれ、搦め手の名残口を押さえ . . . 本文を読む
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