今回の衆議院選挙は、私たち選挙民にとっては、旧来の選挙における陋習を脱する画期的かつ有意義な選挙だったと思う。
それと同時に、メディアの選挙報道の無用性と選挙をエンターテイメントと同列に扱う軽薄性を浮き彫りにした。
国政選挙というものは、私たち庶民に、社会のゆがみやひずみを浮き彫りにしてくれる貴重な機会である。観察の機会を提供してくれる貴重なイべントである。
候補者というものは、得票のために選挙活動の過程を通じて、政治家としての公の貌ばかりない私の貌を曝露せざるを得ない。当選するための必死の行動が、善かれ悪しかれ、彼の人物像を瞭かにする。それは私たちが普段の生活では決してできない、政治家本人の本当の人間観察の場を提供してくれる。
選挙民は選挙期間中、徹底して候補者を注視観察し、彼や彼女の政治的見識と政策実現力を知り抜かなければならない。
国会議員は、国政選挙に立候補し初当選したら最期、以降幾たびもの選挙を闘い抜く。
「落選すればタダの人」の言葉は、落選を乗り越え議員を続けなければならない政治家の宿命を伝えている。議員になった以上は、当選回数を増やす以外に生き残る道はない。
ひとたび政治家が誕生すれば、彼は自分の政治理念に従い策定した政策を公示し、法案を提出する。これを繰り返し、政治的な階段を登る。
次第に我が身に権力が具わるうちに、それを行使し、利権を手中に収めるようになる。
彼は最終的には、一国の命運を握る宰相の座につくこともある。彼は生涯にわたって、遠近無数の人々と触れ合い、自らの全貌を顕すだろう。
政治的能力は勿論、思想や教養、資力、趣味、飲食に至るまで、自らを、様々な形で人々に知らせることになる。
私たちは、選挙の度に、またとない人間観察と分析の機会に恵まれる。ひとりの生涯にわたる活動を、余すことなく明らかにする。
選挙というものは、遠慮や〇〇無く堂々と人を調査研究する、又とない機会である。
皆がその姿勢で選挙に臨めば、日本の政治は必ず好い方向に向かうだろう。
厳しい審査に晒され当選した議員
知識が乏しかったら、知識を偽る候補者はふるわれて当然だが、知識は豊かでも見識がお粗末な議員を選ぶ愚を絶対に繰り返してはならない。見識は確かな人間性の上に築かれるものである。候補者の見識に照準を合わせて、投票行動を決めるべきである。
情実とか、縁故とか、候補者当人の資質と無関係の要素で投票行動をきめることが、永く行なわれて来た。そのような旧態依然の投票行動は、自分自身の見識の欠如を示すものである。村で町で市で行われて来た常習的人縁地縁選挙を、国政の場では断ち切らなければ、良い国政は自分たちのものにならない。
候補者の見識が問われると同時に、私たち選挙民の見識が問われるのが、国政選挙である。
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