道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

醒井宿と鱒の姿寿司

2014年08月03日 | 旅・行楽
米原市の醒井には、明治11年に日本で最初につくられた養鱒場がある。サケ科の魚類養殖の草分けとして県の直営でスタートし、今は指定管理者の運営に委ねられている。
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JR醒ヶ井駅に降りて10分も歩けば、旧中山道の醒井宿。宿場を潤す地蔵川の源流は地内の湧水で、この季節でさえ水温14度Cを超えないという。
 
清冽な流れの中にゆらめくバイカモ(梅花藻)の草叢から、無数の白い五弁花が水面に起ち上がっていた。このキンポウゲ科の小さな花を見るだけで、涼しさは倍増する。バイカモは水が汚れてくると絶えてしまうという。
 
標高1600mの上高地の大正池付近で、気息奄々の状態のバイカモを見たことがあった。水温は申し分無くても、水質の劣化で溶存酸素量が乏しくなったのが原因と想像される。

江戸期の宿場時代から今日まで、醒井の町中を貫流する小川に美しいバイカモの花が咲き続けているのは、清く冷たい水が豊富に湧き出ているからだろう。

駅前からバスに乗る。約15分で谷間の終点、醒井養鱒場バス停に到着する。滴るような緑と沢の瀬音に、深い山中に居るような錯覚を覚えた。

養鱒場では、醒井峡谷の冷い伏流水を利用して、ビワマス・イワナ・アマゴ・ニジマスを養殖している。これら陸封されたサケ科の渓流魚は、18度Cを超える水温では生きられない。養鱒を事業にしている地域は、何処でも夏は涼しい。

 避暑というと、高原を思い浮かべがちだが、低地であっても、山の雪融け水が地中深く浸透し、その伏流水が至る処で湧き出しているような場所は、川筋一帯が冷房されているようなもので、山地の多い日本では、探せばいくらでも見つかる。そのような場所は、養鱒場として好立地だった。

海外から養殖サケ・マスが大量に輸入されている昨今、食用としての日本のニジマス養鱒事業は衰退しつつあり、養鱒場は減る一方だ。街からの交通アクセスに恵まれた養魚池だけが、ルアー釣り場などに変身し、辛うじて事業を続けている。

古い話になるが、停車駅のプラットホームで、列車の窓から駅弁を買う光景がごく普通に見られた時代、米原駅の名物は醒井養鱒場の鱒を1尾まるごと押し寿司にした「鱒の姿寿司」だった。押し寿司と云っても富山駅の「鱒の寿司」とは、使う魚種と風袋がまったく違う。したがって味も異なる。

当時の名古屋から西の東海道本線では、夏場は岐阜駅の鮎寿司と米原駅の鱒寿司が人気を分けていた。毎夏親に連れられ北陸線を行き来したときの列車は、浜松で乗るとちょうど昼どきに米原駅に停車し、昼食は鱒寿司が定番だった。その頃はまだ小学生だったが、姿が興味を惹いたのか味そのものが気に入ったものか、それは好物のひとつに加わった。その駅弁は10年足らずで消えてしまった(注「元祖鱒寿司」は、米原駅弁当販売の井筒屋さんで現在も店頭販売中)。人々の食の好みが変わったのだろうか?

寿司のルーツは熟れ寿司とか。押し寿司が熟れ寿司のインスタント版なのかどうかは知らないが、にぎり寿司より歴史は古い。伝統の押し寿司が退潮気味なのは、どう考えても惜しいと思う。

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