秋月という地名を知ったのは、40
歳前後だったろうか。すぐにも行ってみたかったが、遠い九州の地でもあり、当時はより優先したい目的地をいくつか温めていたために実行に移せぬまま老境に至り、初めてその地を踏む結果になった。
秋月は筑前の小京都と呼ばれ、桜や紅葉の頃には九州一円はもとより各地から観光客が殺到するという。そのうえ、今年はNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」ゆかりの地(官兵衛の子長政の三男の居城)と喧伝されていることもあり、観光客の多さが予想された。
花見の賑わいが収まったと思われる4月中旬のある日、秋月城を訪れてみた。朝10時前に秋月に着いた。
道に面して立ち並ぶ休み処も、繁忙の後の休業なのかほとんどが表戸を閉ざしていた。壕端の外れに、これまで見たこともない美しい色あいのオドリコソウが、ひっそりとひと叢咲いていた。全く予期していなかっただけに、これは望外の歓び。この時に此処を訪れたことの幸運を感じた。
城外の街道沿いに商家が並び、田園には旧武家屋敷が点在する。シーズン外れとあって観光客の姿はなく、昔想像したとおりの秋月の城邑の佇まいを、心ゆくまで満喫することができた。
個人の旅行には、脳に刺激を与える創造的な旅と、消費行動としての旅とがあるように思える。旅先に静かなところを選ぶのは前者で、その地の自然と人文に興味がもてれば、不便を厭わず出かける。予期しない出会いがあり、新たな発見と探求の端緒を掴むことが出来るなら、それに過ぎるものはない。旅情はこのような旅から生まれる。
後者に該る観光の旅は、人混みを厭うていては目的を果たせない。そのような旅には、旅行会社のパッケージツアーが実によくできている。リピートされるサービスだけあって、実に消費者の要求を着実に捉えていて、便宜なことこの上ない。
現代人はウェイトの差はあれ、このふたつの異質な旅のどちらをも楽しみたいと考えている。それが出来る時代でもある。
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