中学生の頃からの近眼で、遺伝だから仕方がないと視力は諦めていたが、聴覚は幼い頃から家族に「地獄耳」と言われていた。
何しろ乳飲み子の時に、連日の【B-29爆撃機〉の来襲をいち早く察知し、泣いて知らせたという。私の泣き声を聴いて家族が防空壕に入る支度を始めると、漸く軍の空襲警報のサイレンが鳴りだしたと、後によく聞かされた。
当地には陸軍航空隊の基地と航空機製造工場が在ったうえに、首都圏爆撃の編隊の帰還コースに当たってもいた。内陸攻撃の編隊は、機体の爆弾庫の残弾を当地上空でカラにして洋上に出る。つまり、首都爆撃のあったときは、当地にも必ず爆撃と被害があった。
当時の陸軍のチューバの親玉のような音波探知機よりは、赤児の耳の方が性能が良かったということらしい。たぶん、暗く湿って不快な防空壕の内に入るのが嫌で、遠い爆撃機のエンジン音に鋭敏に反応していたのだろう。
お陰様で、この齢になっても、散歩の時に小鳥の囀りとせせらぎの音が聞こえるのは有難い。
老化によって五感が衰えるのは避けられないが、誰でも1つや2つは、健常のままでいられるものがあるらしい。
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