現代の核家族を考えてみた。
戦後に地方から親と離れ大都会に出て、夫婦2人と子どもたちの家庭を作り上げた世代を第一次核家族とすると、その子どもたちが結婚して築いた家庭が第二次核家族である。今の現役世代は第三次核家族の時代に当たるだろうか。
日本の核家族は累代同様の軌跡を辿ってはいるが、その間大きく変わったことがひとつある。それは第二次核家族以降に婦人の社会参画(官製用語で嫌いな言葉だが)が著しく進んだことだ。
現代の子育て世代は共働きが標準、夫婦それぞれが仕事をもっている。妻の仕事はフルタイムである。そしてその子どもたちは早期教育が当たり前の時代の下、学業であれ習い事であれ下校後も忙しい。どの家庭も平日は夫婦共に仕事で手一杯、家庭のルーティン(子どもの塾・スポーツ・音楽教室などの送り迎え)をこなすのは並大抵でない。夫が国内外に単身赴任でもしていれば、家庭内の人手は常に足りない。
したがって、そのような家庭に不測・不時の事態が発生した時に、それに対応できる人的な余力はまったくない。子どもの病気・怪我、その他諸々の突発的事態への臨機の対処は、いきおい夫婦のどちらかの実家の親たちの応援が必要になる。
新聞社に遊軍記者と呼ばれる記者たちがいる。決まった特定の担当を持たず、社会部にいて機に臨み活動できる態勢にある記者のことである。
現役世代の親たちは、好むと好まざるとにかかわらず、これと同じような遊軍的な役割が、独立した子弟たちの家庭から期待されている。
可愛い孫の身に不足が生じてはいけないし、人手に任せる訳にはいかない。親たちは進んで遊軍の任に当たる。子ども夫婦のどちらかまたは孫たちのひとりに何かあった時のために待機し、必要ある時に即応する。そうでなければ、核家族の生活を営む息子や娘たち夫婦が、安定した職場と育児を両立させることは難しいだろう。
この遊軍という役割が曲者で、生活に責任は無くとも、事が起きた時は何ごとにも迅速かつ確実に対応しなければならない。現役を引いて歳月を経た身には、正直荷が重いのではないか。
核家族の歴史が浅い日本では、世代を累ねるにしたがって、親に対する依存度が増してくる逆行現象が生じている。つまり、日本の核家族は、代を累ねるごとに、自立性と自己完結性を失っていくのではないか。第三次核家族にも、親たちと似た老後生活が待っているに違いない。欧米のような、リタイア後の夫婦自適の生活は、なかなか現実のものにならないだろう。
第一次核家族の時代は、親世代との物理的・時間的な距離は大きく、しかも親たちは企業人でなく生業をもっていた。したがって頻繁に支援を頼める存在ではなかった。また核家族の側も、共働き世帯は少なく、専業主婦が家庭の総務を受け持ち、凡ゆる不測の事態に対応できた。
子どもたちに通わせる塾や習い事の数も少なかった。また、共働きの場合であっても主婦の職場はパートタイムで、突発事態にいつでも対応できた。
第一次核家族は、夫婦だけの力で核家族を維持できた。親に依存しない自己完結性があった。その子ども世代の第二次核家族以降では、その親たちは企業や役所に勤務してキャリアを終えた生業をもたない年金世代である。余裕時間が有る。
手が空いているなら、応援を要請するのは当然だろう。かくして、社会現象として、第二次核家族以降の親たちの、子弟家族に対する遊軍的な性格,役割が浮かび上がってきた。
上記は、日本社会ならではの現象である。欧米の核家族が自己完結性を保つことができるのは、牧畜民族は本質的に核家族が標準でその歴史が長く、社会のシステムがそれに整合しているからだろう。彼の地の核家族は、たぶん三代どころか何百世代を累ねているだろう。
かつての稲作農業社会における、本家から別れた分家は核家族ではない。戦前の家督相続制度では、農地の細分化を防ぐため、本家の長男が農地の大部分を相続して次三男は家を出た。農地を有たない分家は常に本家に依存する関係だった。その反対給付は労働力の提供だった。したがって、自己完結性など意識に登ることもない。労働集約的な稲作農業社会では、本家からの分離独立は不可能だったのだ。武家社会でも同様だった。一朝事あるときには、本家に馳せ参じた。
核家族は戦後の民法のもとで、初めて日本に現れた全く新しい家族形態だった。それは自然発生したものでなく、民主化を意図した占領政策が生んだ過渡的なもので、本質的に社会に整合する安定した家族制度ではなかった。
少子高齢化と、一次産業の縮小と二次産業の海外移転が進む今後の日本社会、より安定した家族の形はどのように落ち着くのだろう?
本年も宜しくお願いします🙇⤵️
このブログ?記事?😊読まして頂き
全くその通りだと思います、
政府はそういう事に気がついているのでしょうか、
私は上手く説明出来ませんが
息子家族は三次核家族、常に親をあてにします
私の職場で息子らと同じ世代の人に話すと、
「今はどこでもそうですよ~」と
若い人に悟らせられます、なので第二次核家族の
時代の嫁、姑問題は 減っている気がして、
独立した家庭を持つのなら、
洋画の様な、親を思い子供達を連れて優しく言葉をかけに来てくれる、それが大人だと思うのですが😌
狭い国土に住宅増やし過ぎ!住む人は使い捨て!
ますます核家族は増えますね😅
私も、世代ごとの暮らし方がどのようになればよいのかわかりませんが、この過渡期を経た後の孫の時代には、自立した核家族になって欲しいと願っています。
おっしゃる通り、政治のリードが適切でないと、それは望めませんね。
たしかに昨今は嫁姑問題は消えました。
一歩前進、欣ぶべきことです。
今年もよろしくお願い致します。