先週に続き奥三河の山に登った。
稜線に出ると山道は前登った時よりもササの進出が著しく、丈も高くなっていた。早晩ササのトンネル道になるだろう。
登山ブームが沸いて10年ほどの間に、各地のヤブ山はササが刈り払われ、見違えるように登山道が整備された。ブームが去り、自治体が財政難に陥る昨今、ヤブ山の登路は、再びササに覆われ、ケモノ道が交錯する旧の状態に戻りつつある。
遠くに聞こえていたツツドリの「ポポ ポポ」の声が、突然間近で聞こえたが姿は見えない。「ツツピーィ ツツピーィ」と聞こえる囀りはコガラの鳴声だろうか?
頂稜近くの、若葉がまぶしい樹林の下に春の花は無かった。ところが、登りと別の道を辿って入山口の山里に戻ると、其処には至るところにニリンソウやイカリソウの花々が咲いていた。
人家の庭や敷地と山側の道路とを隔てる土居にも、これらの草木が生えていて、既に花の終わったカタクリの葉も認められた。それらは野外の自生地から移植したものではなさそうで、もとからの自生地に住宅を建てた結果か、あるいは近くの自生地から進出してきたもののように見えた。葉と花にそう思わせる生気があった。それほどに、此処では生活の場と自然とが密に接している。住宅に隣接した耕地から、耕耘機の響きが聞こえている。
山から流れ出る水脈は各々の宅内の池に導かれ、生活用水にも耕地の涵養にも利用されているようだ。貯水を目的にしているその池に凝った意匠はなく、鯉が数尾悠々と泳いでいた。
場所を変えて小高い道路から眺めると、目の前にのどかで美しい山家の景観が広がっていた。
今が盛りのサクラの花陰に居宅の屋根が透けて見え、その母屋を要として扇を開いたように菜園や茶畑に区分けされた耕地が南の谷に向かってなだらかに下っている。
扇の両親骨にあたるのは尾根で、一方はこちら側の道路、向かいのそれは植林されている。その山林の手前にひと叢の雑木林があり、梢が黄緑にけぶって見える。シイタケのホダ木を育てる林だろうか?尾根の背後には、奥三河の山並みが連なっていた。
このような、自然に人手を加えた景観が純粋の自然景観に劣らず美しいのはなぜだろう。累代この地で自然と調和した暮らしを重ねた、ある種の遺徳のようなものが、建物や耕地、立木など景観を構成する要素のひとつひとつに及んでいるのだろう。芸術に拠らない人工は、時の流れに永く晒されることによってのみ、美を獲得するものなのかもしれない。
奥三河に点在する高地集落では、此処とよく似た佇まいを目にすることがある。地質と地勢、そして気候がそれぞれの集落に共通するからだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます