道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

訣れの必要性

2010年04月23日 | 随想
善いもの・美しいもの・清いものを永く記憶にとどめるためには、それらを齎してくれた存在との別離を怯んではいけない。それらは変質しやすく、鮮度を長く保つのは難しいからだ。

人生には無数の出逢いと別れがある。すべての関係には発端と結末があり、不意の終焉がある。出逢いと別離とは対になっているのだから、別れは避けられない。早いか遅いかがあるだけだ。だから、今の関係を大切にしなければいけない。

人は老いる。老いれば感性は消耗し、情操は涸れる。これは誰もが避けられない。若い時に結ばれた友好関係を維持するには、当事者双方が不断の努力をしなければ関係は保てない。

精神は肉体と同じく年齢に応じて変化を蒙る。人間は社会的動物で、社会の影響を強く受け、変質は避けられない。その最たるものは結婚で、配偶者が本人に及ぼす影響は、計り知れないものがある。家庭生活の安定を優先すると、迎合は不可欠である。また位階の昇降や事業の盛衰、財貨の増減が与えるる心理的影響も大きい。

互いに共感し琢磨し合った若い時代の関係というものは、年齢を重ねるに従い変化を免れないものだ。互いに当時の独り身の自分ではないからだ。

自負心というものが老人を捉えて離さなくなるともういけない。加えて高慢が身につけば、偏見もこびりつく。こうして人は老いるに従い、互いが互いの友であるための要件を失う。

若いころから変わらぬ友情などというものは、錯覚か願望に裏打ちされた幻想で、実際には疾うに失せたものをまだあると信じ、互いに自己満足しているに過ぎないのではないか。刎頚の友とか終生の友とかの美辞も、惰性と孤独の現実を意識の外に排除する為の標語かもしれない。

人は皆変わるものである。外貌や身体など肉体が変化を被っているのに、心は若い時のままに在ると考えているとしたら、想像力と物事を客観視する素養に欠けているだろう。

人間同士の関係も、果実やその他の生鮮品と同じく経時変化を被り、最終的には腐敗する可能性が高い。人間が生命体である以上、細胞で出来上がっている以上、それは避けられない。精神だけは劣化しないと思い込むのは妄念と言うものであろう。印象は純化する方向には向かわないものだ。

だから、好い感情を記憶に留め、心の糧としたければ、関係が腐らないうちに別れなければいけない。悪い印象の上書きを避けるには、佳い印象のあるうちに凍結するしかない。

瑞々しいものほど速く腐る。物が腐り始めるときには必ず予兆があるように、人間同士の関係の腐敗にも予兆がある。それは、互いに相手に誠実に向き合えなくなったときであろう。誠実こそ、友宜の必須要件である。もしそれが失われたら、その原因は、おそらく双方にあるに違いない。自他に予兆を見出したら、断固離別するのが好い。それが、記憶の中の善いもの・美しいもの・清いものを保存するうえで最善の策だ。

時に応じてそれらを心奥で回顧展開できるようにしておくことは、自らの精神を健全に保つ唯一の方法だろう。精神の劣化を遅らすには、精神衛生に害のあることをなるべく少なく保たねばならない。自発的な訣れが必要な所以である。

人は豊かな人間関係を築くことを希む。また、別れのない人生を送りたいと願う。その結果、自らの適応能力、処理能力を超えた人間関係に毒されたり四苦八苦することさえある。ただでさえ精神の足腰が萎えた老人にとって、それは重荷になりこそすれ、決して幸福に導くものとはならない。

自然に出来上がった最小限の人間関係に身を委ねるのが、老人には相応しい。気持ちの触れ合う、内省と共感を身に付けた者同士のcozyでcomfortableな関係こそ、精神のフットワークのよい老後を過ごすために大切なことではないかと思う。そのためには、障害になる関係は整理することが望ましい。

精神が年齢によって高められるものでないことが医学的に立証されている以上、老いてそれまでより好い人間関係に発展するはずがない。そうと知りながら漫然と関係を続けるのは、無意識に孤独を怖れているからだろう

我々は日々人と触れ合い、生活を楽しんでいる。だが同時に、孤独に向かって確実に歩を進めている。間違いなく、人は皆孤独のうちに世を去る運命のもとに生まれてきている。英語には、孤独にlonelinesssolitudeの違いがある。(当ブログsolitude)

人の終末というものは多分おしなべaloneであろう。皆がaloneを怖れるのは、個より集団に安定を見出す心性が牢固としてわれわれの中に内在しているからだろう。

だがsolitudeは老いや病とは無関係である。人はsolitudeの時代をある程度の期間過ごして後に、避けられないaloneを迎えるのが望ましいのではないだろうか。


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