高校2年の夏休みに、自由課題の読書でスタンダールの「赤と黒」を読んで、私は恋愛至上主義者になった。恋愛が好きなのではなく、恋愛話が好きということである。憧憬は強いが実践は伴わない。
幾多の恋愛の果てに、遂には断頭台に消えたジュリアン・ソレルの生涯を知れば、現実の恋愛はまっぴら御免という気持ちになる。
老爺の恋愛論かなどと白けないで、終わりまでご笑覧いただきたい。人間は生きている限り、恋と無縁にはなれない。
初めての恋愛で結婚しているので、自分自身の恋愛経験は乏しく、無いに等しい。それで恋愛至上主義かと読者諸氏は嗤うかも知れないが、至上主義はあくまで思想上のこと、実体験の有無を要しないと思う。
恋愛というものは、ひとつ実れば他の一切の恋愛の可能性を排除してしまうはずのもの。それなのに実際は、恋愛経験が豊富な人たちが多数存在する。
同時並行で複数の異性と交際するのは明らかに遊びであろうし、絶え間なく恋愛を続けるシチュエーションも、ある意味病的である。相手の人格を無視しては、恋も愛も成立しない。似非恋愛は本論の対象ではない。
相手の人格を互いに認め合って男女が真剣に交際していれば、恋情は深まり、遅からず双方が結婚を希望するようになる。妨げる事情が無ければ、結婚へと進むのが自然である。
結婚は恋の安定、愛の固定である。以後の家庭生活に新たな恋愛が入り込む余地は全く無い筈のものである。
ところがどっこい現実は、家庭人の恋愛(不倫)が跡を断たない。
都会生活は夫婦共働き社会、昔と比べると出会いが多い。つい自分の立場を忘れる人もあるだろう。
其処には必ず、配偶者の一方の相手方への人格無視と背信が発生しているに違いない。正しくは、人格無視が背信を招くのである。
背信というものは、凡ゆる人間の背徳の中でも、最大級の精神的な罪である。
しかしこれには、合理化という心理的免罪符がある。人間は合理化によって、自分の背信の罪に自ら免罪符を発給できるのである。
配偶者の態度・行為・言動・癖その他精神的な離反を合理化(正当化)する材料はいくらでもある。夫婦も十年も生活を共にしていれば、離反の材料には事欠かないのである。自己の背信行為を合理化(正当化)しようとするためなら、人は凡ゆる離反の材料の検索を躊躇しない。不倫が恋愛の美しさを備えないのは、背信を合理化せざるを得ないからである。
ある離婚専門の弁護士さんが、不倫に因る離婚訴訟は泥試合だと語ってくれたことがある。離婚を決意した男女には、正義も矜持もルールも無いらしい。当事者は、自己に有利なあらゆる材料を持ち出して、正当性を強調するのだそうだ。其処には、反省も悔悟も責任感も皆無だという。
このように、人間には免罪符というものを自家発給できる心理機構が備わっているのである。その程度は、個人の道義心や責任感の強弱によって違いがあるが、全ての人に免罪符発給の用意は平等にあるのである。
不倫は旧い恋の廃滅であり、新たな恋の発生であるが、新しい方は背信という瑕疵を秘めた恋愛である。傷があっては、免罪符があっても上手く行くとは思われない。
人は円満な家庭生活を営んで人生を送るなら、早かろうと遅かろうと、たった一回の恋愛しか経験のしようがない。つまり恋愛は、数多く経験すればするほど、多くの関係者の人格を無視し、心を傷つけ、不信を募らせるものである。
恋多き人という評価は、どのように華々しく飾ろうとも賛辞にはならない。恋を数多く経験すればするほど、人間は下品になる。それは自家発給の免罪符が溜まるからである。それ故に、恋愛経験が豊富である人ほど、恋愛至上主義にはなれないのである。
男女は互いに愛し合っていても、幸福になれないこともある。つまり恋愛は幸福を約束するものではない。
恋の始めに幸福を感ずるのは、殆どが錯覚か幻想であろう。恋は終わってみれば、苦い悔悟と自己嫌悪の追い波をかぶることが多い。それでも恋に憧れ恋に身を焦がす人は絶えない。
恋愛を研究すればするほど、恋愛などしたくなくなるのは、負け惜しみでなく本音である。恋愛の成就は,幸福駅行き列車の指定席に収まったことではない。倖せは、弛まざる互いの人格尊重と家族愛、そして安定した経済基盤、の三拍子が揃わなければ定着しない。恋とは全く別の要素に大きく依存しているのである。
それでも恋愛至上主義には意味がある。敢えて不幸への虞れを顧みない恋愛は、一種の冒険であって、冒険には,人間の孤独と信頼が密着しているものである。
恋は人に無上の幸福感をもたらすものである。その意味で、いつでも恋していたいという考えはよく分かる。分かるがそれは誤った考えである。幸福感は感覚だから幸福そのものではない。必ず近い将来終焉が訪れる恋というものは、不幸を確実にもたらす。
恋愛に伴う無上の幸福感は、滅多に得られるものではない。幸運にも人生でそれを一遍でも味わったなら、その恋を最初で最後のものとすべきであろう。
【メロディーとシーン】
その1
その2
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