遠州弁は信州や甲州の方言の影響を受けているが、当然ながら三州・尾州の方言の影響も大きい。
私の小学校時代には「みこ」という言葉をよく耳にした。目上の人の庇護が篤いという意味である。ひと言で云えば依怙贔屓である。
「誰それは先生の『みこ』が好い(悪い)」という形で使われていた。
「みこ取りが上手い(下手)」とも使う。
歓心を買うに長けているということである。
「みこ」は調べてみると、尾張方言であったらしい。ネットから引用させていただく。
【出典】
引用始め
>「みこ」は通常「みこがいい」とか「みこが悪い」とかという形で用いられている。意味は「評判」とか「人気」などで、相手の受け取り方を評して言う。この語源について伊藤義文著『ザ・尾張弁』は「見込み」の下略語、としている。 「おみゃーは横着ばっかしとるで、先生のみこがわりぃーわ。まーちょっとおとなしくしとれんのか、コラッ」
「みこ」は子供同士でもよく使った。「あいつは○○先生のみこがええ」とけなるがったり、逆にその人に対して周りの者が「みこ、みこ」とはやし立てたりもした。特に小学校の高学年のころ、この「みこ」が盛んに使われていたように思う。<引用おわり
「みこ」を露骨に示す教師に、小学校の3年から卒業まで受け持たれた。親たちは、自分たちの子どもが学校で教師の「みこ」が好いことを願うものである。陰に日向にわが子への「みこ」が好くなるよう、担任への配慮を欠かさない。
「みこ」の悪い子はよく叱られる。私は優等生ではなかったので、授業を妨げよく叱られた。「みこ」が悪かった側の生徒である。中学に入ると一転して、卒業するまで3人の担任の先生の「みこ」が好かった。小学校の先生とは、相性が悪かったのだろう。
今日では当地でも「みこ」という言葉は聞かれない。教育現場から真っ先に排除されたに違いない。あってはならない言葉だから・・・
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