道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

変化について

2019年07月14日 | 随想
 

変化を求めての民意の反映という言葉をよく耳にする。莫迦を云ってはいけない。人間は変化を、未知を、もっとも恐れる生き物だ。

知識のあること、体験のあること、馴れたこと、人はこの環境でこそ自信をもって判断し行動することが出来る。変化を嫌う生き物、それが人間というものだ。あて舵をとって、すこしづつ変針するのが好ましい。それならなんとか対応できるからだ。ドラスチックな変化は望まないし、そのように出来ていない。

前の政権に愛想が尽きて、新しい政権に委ねてみたら期待に反した。しからば、その前の政権を動かした人々が復活した政権に、新しい政治が期待できるのか?答えはノーであろう。

人は変わらない。そう簡単には中身を変えられない。前の人は舊い知識・経験に依拠して判断し行動する。変わるとは云っているが、この世にそんな器用な、そんな能力のある人間などいない。人は別の人にはけっして変われない。前と同じ人達が政権に復活すれば、前と同じことをやる。前と同じことしか出来ないのだ。

未知の人々に委ねるなら、変化することは間違いない。それがよい結果を生むかどうかは別として。前の人達は一度失敗した前のやり方を再びする。そして間違いなくもう一度失敗する。100%失敗する。

新しい人たちは、やってみなければ分からない。ということは失敗する確率は50%だ。リスクを50%採らなければ、何も変えられないし変わらない。確率100%の失敗と確率50%の成功。後者にしか生き残る道はない。

日本の官僚制度では、官僚は変わらないから政権が変わったぐらいでは政治は変わらない。政策が実行に移される過程で、官僚に都合よいように変成され、新政権が所期の政策目的を遂げることは難しい。

人が変わらなければ、思想、価値観は変わらない。選挙で政治家を変えるだけでは、実効ある政策は生まれない。政策を実行する過程に関与する人々も、政策発案者達と同様に変わっているのでなければ、政治の変化は見かけだけのものになる。

変化は不安をともなうから、本音では誰もが嫌う。それを政治に求めようと云うなら、まず選挙民自身が変化にともなう恐れ、不安に打ち克つ勇気をもたなくてはならない。選挙民が自身の変化を嫌う惰弱な精神のままで国政に変化を求めるのは卑怯だ。

人は誰もが変化が嫌いである。政治家も、官僚も、事業者も、学者も、教師も。変化を好む者は、現状に満足できない者、現状を打破したい者だけだ。現状に満足できない者の求める変化は、自己に都合の好い変化に傾く。万民に幸せをもたらす変化というものは難しい。変化を求める場合、それがエゴイズムに根ざしているのか、平等主義・博愛精神に基づくのかを見極める必要がある。数の比では8対2ぐらいの比率だろうか?

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