裏山の公園のサクラが散ると、コナラの葉の浅緑が、周りの常緑樹を凌いで輝く。林の中の交叉した枝から枝へ跳びまわるタイワンリスの動きはいつも素早く、目で捉えるのは難しいが、枝の上で夢中で木の実をかじっているときだけは、じっくりしぐさを見ることができる。
通りすがりの年配の婦人が、「リスがすぐ近くまで寄って来てくれた」と喜んでいた。動物であれ植物であれ、野性の生き物に関心があるうちは、自然に対する感受性を失っていないということで、自分もそうありたいと願っている。
公園によっては、リスの他に遺棄された犬や猫、または嫌われ者のカラスなどに餌を与え続ける人達がいる。猫やカラスが多数集まれば、他の来園者たちが迷惑を被る。禁止されていても、餌やりはなかなか止まらない。
野性や野性化した動物に餌を与える行為は愛護だろうか?そうは思えない。彼らは動物に依存されることを望み、そのために餌を与える。被依存の願望の根には孤独がありそうだ。リスが寄ってきてくれたと無邪気に喜んでいた婦人に、孤独の影はなかった。
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