政治の劣化が止まらない。権力に自浄作用は無い。首相や大臣の国会答弁や会見を聴いていると、自他共に?好々爺を認める老生でも、流石に怒りを抑えきれない時が屡々ある。
国家の軌跡は、内外から見てわかりやすく正当でなければ国際社会で信用されない。今こそ国民全員が、危機意識を共有することが大切だ。
最近の若い人たちの一部には、国が立ち行かなくなったら、海外、それも欧米先進国へ移住すればよい、などと安易に考えている人たちがいるらしい。グローバル時代に育ち、企業の一員としてそれら先進国に赴任したこともある彼らにとって、想定する国々は身近で、物理的にも心理的にも、何処へでも任意に行けると心得ているようだ。グローバル企業に身をおいていて、国籍や国境を意識しなくなる面もあるだろう。
かつて香港の租借権が終了し、中国に返還されると決まった時、香港の人々の多くが、カナダ、オーストラリアに移住した。已むにやまれぬ決断だったに違いない。祖国で築きあげてきた社会的地位や経済的基盤を捨てての移住だった。一介の移民としてその国に骨を埋める覚悟だったろう。それほど、中国共産党政権を恐れた。それと較べると、日本の海外移住者に切実感はない。好いとこどりの安直な気持ちはないだろうか?
だが何処へ移住するにもせよ、世の中そんなに甘くはない。移住先の国民の感情すなわち心理的な障壁を軽視してはいけない。
現状が駄目だからといって、その中で祖国を改める努力をすることもなく、ポンと異国に移住して来た者を、歓迎する国民など地球上にはいない。移住者をコミュニティに加えるには、相手方にそれなりのメリットがあるかが判断の基準になる。移住者のもつ知識やスキルに、今彼らが必要としている卓抜なものがあるかどうかだ。言語は異国社会で暮らす必要条件だが、ライセンスではない。よしんば移住先の住民に打算が無くとも、新来のメンバーへの親愛の情が芽生えるには、移住者自身の人間性が左右する。
夫々の国には国ごとに歴史があり、長い時の流れの中で、その国の国民が汗と血でつくりあげた政体や社会や培われた精神がある。その国の政体が優れているから、国力が強靭だからといって、祖国を見限り渡って来た人間を、おいそれと受け入れる先進国はないだろう。
ビジネスの世界では、赴任地で尊重されたこともあるだろう。企業を代表して海外で活動していた時に現地で得られていた反応を、自分個人への評価と勘違いしてはならない。その時の厚遇はビジネスの上でのこと、先方にとっては言わば世過ぎ身過ぎの取り扱いに外ならない。祖国を、同胞を見棄てて家族ぐるみ異国に移住して来た者を、その国の国民が敬意を払うはずもない。移住先の社会で認められるまでには、3世代100年にわたる努力が必要だ。祖国に在った時と比較するなら、生活の多岐にわたり、不利は想像を絶するものがあるだろう。
人間は類を呼ぶ。類が違えば、違和感や偏見も生まれる。民族の相克は、平和な島国で育った人間には実感できない。
物理的な障壁や制度的な障壁は取り払われても、社会の心理的な障壁というもの、民族の心性に由来するものはおいそれとは変わらない。更に、宗教や歴史に根拠する障壁は、取り払われる性質のものではない。人は歓迎に値する人物しか、同胞として自分たちの社会に招き入れたりはしないものである。
われわれの心には、常に上昇志向が働いていて、自分を少しでも高めてくれるものを歓迎する。自分をより上位にしてくれるものを評価し尊重する。それは同時に、下位に在るものを蔑ろにし、見下げる心理の裏返しである。
国力が盛んな国の国民が、国力の衰えた国から渡り来た国民と、対等でフレンドリーな関係にならないのは、中近東や中南米、東南アジアからの移住者に対する日本社会の対応ぶりを見れば、すぐ理解できる。この30年間十分学習済みのはずだ。これは差別の問題ではなく人間性というものの本質である。
得るものが少なければ、異国からの人と積極的に交際を求めないのは、どこの国の人々にも共通する態度だろう。人情の常である。移住を志す人々は、いま一度世界の歴史を学び直す必要があり、自分に特段の卓越した能力や知識、つまり相手国へ貢献できるものをどれだけ保有しているかどうかを、客観的に検める必要がある。
その国の為に役立つ能力の持ち主なら、移住は成功するかもしれない。そうでないと、移住後3代にわたって、祖国に居た時の何倍もの辛酸を舐めることになるだろう。国策でアメリカやブラジルへ移民した人々の家族史を見れば明らかだ。成功の陰には一世・二世の苦悩が積もっている。三代かかって孫が日本人の風貌を喪う時には、間違いなく日本人のアイデンティティと文化を失う。失わなければ、その国に同化したことにはならない。
日本のような無信仰の国は、他国に例を見ない。キリスト教文化圏に入って日本での宗教的放恣は許されるはずもない。
日本人が移住してその社会に溶け込むためには、移住先に備わる障壁ばかりか、これまで身についた日本文化の固有性の厚みと現地文化との軋轢を乗り越えなくてはならない。中国人には幸か不幸か、精神文化的信条が生まれつき希薄だから軋轢を生じない。古くから世界中に移住して成功してきたのはその特質による。以上をよく承知した上で判断を下さなければ、禍根を子孫に遺すことになるだろう。
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