大雑把に見て、人は生まれつき遠くを見たがる人と近くを見たがる人に分かれるようだ。視程が遠いか近いかは、車のライトの遠目と近目の違いの感覚そのものである。
〈遠目派〉は遠くを見ようとするから視野は広くなるが、細部に眼が及ばない。この派はロマンチストで遠くに意識が向かい、膝元が疎かになりがちである。
対する〈近目派〉は視野は狭くなるものの、細かく部分を見究める力がある。この派はリアリストで、身近なことに堅実だが先を見透すことは得意でない。
視程は、物事を全体で知る態度と、部分を正確に知る態度との違いを、別けているように思う。人間の性質の根本的な違いなので、両方を等分に兼ね備える人は少ない。どちらかに偏りニ派に別かれる。両派が互いに相補完することで、この世の物事は万事正しく認識され、円滑にことが運んでいるのだと思う。
政治家というものは、同時に遠近両方に目が届かなければならない職業で、この方面の天稟が何よりも大切である。
政治家は適性即ち遠近の視程を併せ持つ人でなければ務まらない。適性は学習で補えない生来のものだから、政治家には学力よりも遥かに大切なものである。なのに、適性のチェック無しに立候補できる現在の制度には、明らかに欠陥がある。